すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


箕輪城跡(みのわじょうせき)(群馬県高崎市)






春風に梅も桜も散り果てて名のみぞ残る箕輪の山里 長野業盛




戦国武将、長野業盛の辞世。

1961年、父、長野業正が病死すると、業盛は17歳で家督を継ぐ。

1966年、武田信玄の侵攻により箕輪城は落城。業盛は自刃。



え〜と、あまり戦国時代に詳しくなかったが、数年前に山梨県への巡検旅行の際に、武田信玄関連の小説「武田信玄」(新田次郎)、「風林火山」(井上靖)等を読んだことで、信玄の支配領域であった上野国の城塞についてもいくらか知識を持つことになった。

今回は辞世が詠まれた場所として箕輪城跡に行ったが、「箕輪城」という響きにとても懐かしいものを感じた。(小説に対する懐かしさであるが)

ただし私は城郭マニアでもないので、訪問に当たって他の人が感じるような感興はあまりなかった。







■ 現地訪問


Wikipediaの概要「箕輪城」
「箕輪城は、榛名白川によって削られた河岸段丘に梯郭式に曲輪が配された平山城である。城の西には榛名白川、南には榛名沼があり、両者が天然の堀を形成していた。城地は東西約500メートル、南北約1,100メートル、面積約47ヘクタールにおよぶ広大なものであった。現在にのこる遺構として、石垣・土塁・空堀の跡が認められる。」



駐車場から歩くと「搦手口」から入る



「二の丸」



堀の跡かな



「本丸門馬出し」



これも堀の跡
城跡マニア数名が熱心に見学していた



この橋の向こうに「蔵屋敷」があったとのこと



「本丸」
サッカー場ぐらいの広さがあった



「箕輪城跡」の石碑



説明文
上掲の辞世の歌も刻印されている



見通しの利く場所から南方向を望む
















登場人物も地味で、玄人好みの地味な史跡でした





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