すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


三島(静岡県三島市)




大阪で住んでいると、三島や沼津それから熱海も小田原も、なんとも区別がつかず、ほぼ一緒のように思える。
今回、車で東海道を旅し、三島・沼津を訪れ、熱海は遠かったので訪れなかった等の体験を得て、この地域について位置関係が分かってきた。

とは言え、飲み過ぎた日の次の朝に訪問したので、エンジンのかからない史跡めぐりとなった。


広重の東海道五十三次、三島宿(Wikipediaより)

早朝の出発なのか、靄がかかっている
そして右手には三嶋大社の大鳥居が見える



同じような角度から三嶋大社を激写!
浮世絵に比べ、灯篭の位置が、後ろに下がっている



灯篭は大鳥居から神社の中に入ったところに移設されていた




三嶋大社は伊豆国の一宮
境内はものすごく広大であった

外人観光客も歓声をあげていた



源頼朝と北条政子の腰掛け石
源氏は三嶋大社で戦勝祈願を行ったそうだ



本殿



神社建物の豪壮さに外国人たちは驚嘆していた

















十六夜日記の作者、阿仏尼は鎌倉への道中に三島宿で泊っている。


<十六夜日記>
伊豆の國府といふ所にとゞまる。いまだ夕日のこるほど、みしまの明神へ參るとて、よみて奉る

あはれとや三島の神の宮柱ただここにしもめぐり来にけり 十六夜日記







江戸時代前期の公卿・歌人である烏丸光広が江戸へ向かった時、大雨で箱根の峠を越えられず、三島宿に滞留した。
そして三嶋大社へ参拝して祈った。

天の川井関の水をせきとめよ今も三島の神ならば神 烏丸光広


すると、たちまち雨が止んで晴天になったとか。







源頼朝が平家との戦いの前に三嶋神社に戦勝祈願した。以来、多くの武家たちの崇敬を集めた。

梓弓おして誓ひを違へずは祈る三島の神も受くらん 北条早雲















三嶋大社の境内に若山牧水の歌碑があった。

のずゑなる三島のまちのあげ花火月夜のそらに散りて消ゆなり 若山牧水


三嶋大社の夏祭りの花火を見て詠んだらしい。

若山牧水はこの辺の人なのかな?













東海道中膝栗毛では、三島宿でスッポン騒動があり、「ゴマの灰」(盗っ人)に有り金を盗られる。





・・・ん〜ん。
他に書くことあったかな?




あと、

能「春栄」の舞台は、前半の山城国宇治から、後半は伊豆国に移り、三島で春栄は処刑されかかったり、助かったりと物語は進んで行く。
まさに三島が謡蹟の地となっている。

まったく、能のマイナー演目のマイナー謡蹟である。


だれも興味ないと思うが、能「春栄」のストーリー 
 増尾の春栄は宇治の合戦の際に囚の身となって伊豆三島の囚人奉行高橋権頭家次の陣屋につながれています。家次は春栄が自分の死んだ息子に似ているので養子にしたいと考えますが既に斬罪の判決が下っていて今は刑の執行を待つばかりです。
そうしたある日、春栄の兄増尾太郎種直が家次の館を訪ね、春栄に面会を申し入れます。春栄は兄の来訪を喜びますが、肉親と知れては同罪になると恐れて、家来の者だと言い張ります。兄は弟と一緒に殺される覚悟で来たので、それでは情けないと言って腹を切ろうとします。ここに至って春栄も翻心し互いに名乗りあいます。
委細を見ていた権頭は兄弟愛に涙を催します。そして種直に自分が春栄を貰いうけたい由を話していると、鎌倉から囚人の断罪を命じられ、すわや最期と覚悟していると、再び鎌倉より赦免が伝えられ、一同は喜び種直は舞を舞い、春栄は家次の養子となって共に鎌倉に立ち出でます。
(「宝生の能」平成 10年12月号より)















訪問当日は二日酔い気味だったので、あんまり覚えてません





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