すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


三谷(富山県砺波市)




たまたま富山県内の県道を走っていて、見つけた名所旧跡。


県道11号線



道路沿いに何とも旧跡チックな雰囲気の、木と石と案内板が目にはいり、急ブレーキをかけた。


そしたら西行の弟子の西住の塚であった。
しかも和歌二首つき。



西住塚   
この西住塚は、県道が拡幅される以前はもっと大きく、そこに西行桜という桜の老木があり、近くに西行庵といわれる所もあったという。  西行法師(昔時北面の武士佐藤憲清)が心を許した友、西住法師とともに諸国を巡り、西住の郷里三谷村に至ったとき西住が病にかかり急死、西行は追悼し塚を築き法師手向の花として桜を植え、碑石に西行直筆の歌を刻んだものと伝えている。「越中志微」「越の下草」など旧記によると、慶長十六年(一六一一)碑石は大清水村(高岡市戸出)に移され、永願寺に引き取られ、今のものはその後に建てられたものという。

砺波市教育委員会

もろともにながめながめて夜の月 ひとりにならん事ぞかなしき 西行

道柴の露の古へかへりきて 馴れし三谷の里ぞ恋しき 西住


現地に二首の歌碑


西行の内弟子の西住の死については、一般的には、高野山で修行していた西行が、都で病に伏していた西住を見舞いに行ったり、歌のやり取りをした末に、西住が死んでしまったとされている。

西住の出生地が富山県の三谷で、西行と諸国行脚で三谷にやってきて、そして三谷で急死した、そんな話は今まで聞いたことがなかった。
しかも西行は三谷で庵を結んだりしているとも。
まあ、西行は有名人で、よく旅に出ていたので、各地でいろんな伝説が作られているのだろう。

なお、静岡県の岡部でも西住は死んだことになっている。西住を葬った塚の傍らに、西行が笠を掛けたので、「笠掛の松」という史跡になっている。このホームページに訪問記があるのでご覧いただきたい。


そんな西住の出生地にして死亡した場所の三谷の風景写真








三谷の集落





一般的な田舎の風景であった。


















それなりの木があって、石碑があって、案内板があれば、
体が反応してしまいます。






copyright(C)2012 ゆかりの地☆探訪 〜すさまじきもの〜 all rights reserved.