すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


三宅(奈良県三宅町)




三宅はもともと「屯倉」と書いて、古代天皇の稲作の倉庫の意味につながるらしく、奈良県三宅町もそれなりの由緒がある町だそうだ。


現地の案内板はいろいろと充実した内容であった。

まとめきれないので、項目別に羅列してみる。





【太子道】

宮古から伴堂を経て屏風に向かって走る道路で法隆寺建立のため聖徳太子が「飛鳥の里」から「三宅の原」を経て「斑鳩の里」を往復された道路で太子道といわれ北北西に筋違いになっている。

三宅町教育委員会



現在の三宅町内を太子道が通る。


三宅町中心部を南北に通る


その昔、聖徳太子がこの道を通って斑鳩の里へ向かったらしい。









【あざさ】(植物)

〔絶滅危惧種〕
池や沼に生えるリンドウ科の多年生水草。夏の午前中に黄色い五弁の花を咲かせる。
花の大きさは3〜4センチ。花は、早朝に開き昼頃に萎むが、次々と開花する。朝の気温が二十度以上にならないと咲かないので、なかなか見ることが出来ない、幻の花ともいわれる。万葉集で「三宅の原」の花として詠まれている。

(現地案内板)



三宅町に「あざさ」が保存されていた。





ほぼ興味なし









【三宅の原】
 
万葉集に出てくる三宅ヶ原が、古代天皇の稲作の御料地「屯倉」「屯田」と考えるなら現在の三宅町及びその近傍が、三宅の原と呼ばれていたと考えられる。
三宅町教育委員会

三宅町の周りは広大な農地が広がっていた。
太古の昔から変わってないのだろう。

こんなかんじ







三宅の西端に飛鳥川が流れている。
天井川となっていた。





こんな三宅について詠んだ万葉歌が残っている。
この中に、上記の三つのキーワードが詠い込まれている。


うちひさつ 三宅の原ゆ 直土(ひたつち)に 足踏み貫き  夏草を 腰になづみ いかなるや 人の児故そ 通はすも我子(あご)  うべなうべな 母は知らじ うべなうべな 父は知らじ  蜷(みな)の腸(わた)  か黒き髪に 真木綿(まゆふ)もち  あざさ結ひ垂れ  大和の 黄楊(つげ)の小櫛を  抑へ刺す うらぐはし児 それそ我が妻 万葉集

反歌
父母に 知らせぬ児故 三宅道(みやけぢ)の 夏野の草を なづみ来るかも 万葉集
 父母に知らせていない、可愛い娘のために、私は三宅道の
夏野の草に難渋して来たことよ。(現地の案内板)


奈良県三宅町伴堂466に歌碑
(長歌、反歌とも)




三宅町の中心部の一角(三宅町伴堂466)に万葉歌碑や案内板、「あさざ」の池とかが設置されているのだが、同所にこんなのがあった。


「恋人の聖地」と名打って、ハートマークのチェアーがあった。
難儀な道にも厭わずに恋人のもとへ通ったという万葉歌に由来があるようだ。











それなりに楽しめました。






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