すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


水城(福岡県太宰府市)





大伴旅人は大宰府での勤務を終えて、都へ帰ることになったが、現地妻の遊女児島との別れは辛いものがあったようだ。
二人が交わした歌が万葉集に収録されている。



おほならば かもかもせむを 畏みと 振りたき袖を 忍びてあるかも 児島(万葉集)
(私訳)貴方が普通の身分の人なら色々してあげますが、
高貴な人なので袖を振って別れることさえできません
 



ますらをと 思へる我れや 水茎の 水城の上に 涙拭はむ 大伴旅人(万葉集)
(私訳)自分は強い男と思っていたけど、水城の上で泣いてます
※水茎は、水に掛かる枕詞かな?


水城館の前に上の二首の歌碑



え〜と、大伴旅人は赴任先に残した現地妻との別れがつらく、水城の土塁の上で泣いていたらしいが、これは堤頂が9メートルの高さであり、堤の上からは愛人がいる大宰府がよく見えたのだろう。



ここに登場する水城は、
白村江の敗戦後、大宰府防衛のために築いた城で、Wikipediaによると、「博多湾側の福岡平野から筑紫に通じる平野を閉塞する『遮断城』である。東門と西門が設けられ、福岡方面から2道が通過していた。」(水城)

『平野を閉塞する』って、俄かに想像できないが、Google Earthの現在の水城はこんなかんじ。



全長1.2キロメートル、上部の幅は25メートル。土塁の博多側には60メートルの外濠があったらしい。
現在では九州自動車道や西鉄、JRが通過している。








■ 現地訪問


公園になっていた



水城大堤之碑
史跡として整備されている。



水城跡展望台からの眺め













大伴旅人は、都へ帰った翌年に66歳で亡くなったとのこと。
相当な老いらくの恋だったのだろう。
















平野を閉塞する着想はすごいと思います。






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