すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


望月の牧(長野県東御市)





現地案内板から転記
史跡 望月牧(もちづきまき)野馬除(のまよけ)

 御牧原は、平安時代から鎌倉時代の初めまで、四百余年にわたって朝廷の料馬を養成した御料牧場「望月牧」のあった跡である。
 この御料牧場は「御牧(みまき)」と呼び、当時甲斐国に三牧・武蔵国に四牧・信濃国十六牧、併せて二十三牧あったが、この望月牧はその規模が雄大で、この地から算出された馬は駿馬「望月の駒」として全国に知られていた。
 望月牧の献馬(朝廷に奉納する優良馬)は年二〇頭であったが、一頭の献馬は二〇〜三〇頭の中から選んだといわれる。したがってこの牧場では六〇〇〜七〇〇頭が常時飼育されていたのである。
 牧場は、北東を千曲川、西を鹿曲川に囲まれた台地全域と、南は瓜生坂・入布施・矢島原に及び、その面積は一千町歩を超えている
 牧場の施設としては、断崖等の自然の障壁を除いては、周囲三十八q余にわたって土手を築き柵を設け、馬が逃げ出すのを防いでいた。この柵設を「野馬除」と呼んでいた。
(後略)

東御市教育委員会


私は数字が苦手で、面積一千町歩と言われても想像できない。Googleで「一千町歩とは?」と検索すると 9.91736平方qや、991ヘクタールと表示されたが、これもよく分からない。東京ドーム何個分とかで表してほしい。
とにかく広大な牧場だったのだろう。


え〜と、都へ献上される望月駒を、逢坂山で出迎える儀式があり、これを「駒迎(こまむかえ)」と呼んで京の都の秋の風物詩となっていた。

望月駒は平安時代に数多詠まれているが、これは逢坂山の駒迎を詠んだものであり、遠く信濃国の望月牧を偲んだものではない。

なお、貢進された馬を宮中で披露する行事もあり、これを「駒牽(こまひき)」と言って重要な宮中行事の一つだったらしい。

駒牽は8月15日の満月の日に行われたため、貢馬を「望月の駒」と呼ばれることになり、そしてなんと、その産出地は「望月の牧」となった。





望月の駒を詠んだ歌


逢坂の関の清水に影見えて いまやひくらむ望月の駒 紀貴之(拾遺和歌集)




この貫之の歌を本歌として、以後たくさんの歌が詠まれた。




あづま路をはるかに出づる望月の 駒に今宵は逢坂の関 源仲正
嵯峨の山千代のふる道あととめて また露わくる望月の駒 藤原定家(新古今和歌集)
望月のこまよりおそく出でつれば たどるたどるぞは越えつる 後撰和歌集
あしひきの山路遠くや出つらむ 日高く見ゆる望月の駒 平兼盛(金葉和歌集)
望月の駒ひくときは逢坂の 木の下やみも見えずぞありける 恵慶法師(後拾遺和歌集)
あづまよりけふ相坂の山こえて 都にいづる望月の駒 後京極摂政良経(新勅撰和歌集)
逢坂の関たちいづる影見れば こよひぞ秋の望月の駒 大蔵卿雅具(続後撰和歌集)
さ夜ふけて瀬田の長橋引き渡せ 音もさやけき望月の駒 平忠度



どれの歌も都まで曳かれてきた馬を題材にしている。季節は秋。






この場合、現地に訪問しても仕方がないと思うのだが、グーグルマップに望月牧の跡地が登録されていたので行ってみた。








浅間山が見えた














地図を見ると新幹線が通っていたので、行くときの目印に
なるかと思っていましたが、この部分の新幹線は地下を通
っているので、全く目印になりませんでした。






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