すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


最上川(山形県戸沢村)





出羽国の歌枕のなかで、随一の存在感があるのが「最上川」だろう。
まあ、陸奥国と違って、もともと出羽国には歌枕は少なく、数えるほどしかない。「象潟」はその後の地震で地形が変わってしまったし、「袖の浦」はパンチがなく、「阿古屋の松」も伝説の域を出ない。



最上川が歌枕としての地位を築いたのは、古今和歌集に収録された東歌(あずまうた)のインパクトが余りにも大きかったことによる。


最上川上れば下る稲船いなにはあらずこの月ばかり 古今和歌集/東歌


え〜と、男が女に求愛したところ、いやではないけど、ちょうど月経なので・・・という奔放な性の迸りを感じる東歌。
「否な」を導くために、稲を積んで最上川を行き来していた「稲舟」を登場させている。
これが本歌となって、最上川と言えば「稲舟」、その心は「否な」というイメージの歌枕となった。





「稲舟」の歌


稲舟のいなみなはてそ最上川みなればこそは流れても見め 藤原相如(相如集)


最上川ふかきにもあへず稲舟の心かるくも帰るなるかな 三条右大臣定方


最上川瀬々にせかるる稲舟の暫しぞとだに思はましかば 藤原俊成


最上川つなでひくともいな舟のしばしがほどはいかりおろさむ 崇徳院

つよくひく 綱手と見せよ もがみ川 その稲舟の いかりをさめて 西行


崇徳院と西行の歌は問答歌。意味は難しい。






あと、稲舟が「上れば下る」のフレーズを採用している歌もあった


位山のぼればくだる我が身かな最上川こぐならなくに 藤原実綱(広田社歌合)
(私訳)地位は上がったと思えば下がる、最上川を行く稲舟でもないのに






さて、時代が下って、江戸時代に松尾芭蕉が奥の細道で最上川にやってきた。折からの五月雨で増水していた最上川を舟で下った芭蕉は有名な句を詠んだ。


五月雨を あつめて早し 最上川 松尾芭蕉


戸沢村古口の最上川下り乗船所のシャッター







最上川は日本の三大急流と呼ばれているが、急流のイメージは逆巻く波とたぎる瀬々であって、最上川のように昔から河口の酒田から山形盆地までの舟運が発達していた川は、日本の中で取り分けて急流だとは思えないのだが(個人的に)。






明治時代になって、奥の細道の足跡を訪ねて正岡子規が最上川下りにやってきた。


朝霧や 船頭うたふ 最上川 正岡子規


戸沢村古口の最上川下り乗船所に句碑



八日 川船にて最上川を下る。此舟米穀を積みて
酒田に出だし、又酒田より塩乾魚を積み帰るなり。


秋立つや 出羽商人の もやひ船 正岡子規(はて知らずの記)









そんな最上川の連続写真


大石田



古口あたり



これも古口あたり



仙人堂あたり



これも



最上川下り乗船所にあった「芭蕉丸」。
これは稲舟なのか、どうなのか。



最上川下り乗船所にあった蕎麦屋は「芭蕉庵」
いやはや、現在は「芭蕉尽くし」である。















2018年8月、最上川沿いの戸沢村では、月に二回も最上川が
氾濫しました。今までになかったそうです。
その氾濫と氾濫の合間に戸沢村を訪ねました。






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