すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


本荒(もとあら)の里(仙台市青葉区)








宮城野本荒小萩露を重み風を待つごと君をこそまて 古今和歌集
(私訳) 宮城野の、根元近くの葉がまだらな小萩が、重い露を払い落として
くれる風を待っているように、私もあなたが来てくれるのをずっと待っています
 



古今集の有名なこの歌の中で、「本荒」は「根元近くの葉がまだら」という意味で使われていたのだが、その後にこの歌に影響を受けて多くの歌が詠まれていくうちに、「本荒」は地名となり歌枕となっていった。



宮城野に妻よぶ鹿ぞさけぶなるもとあらに露や寒けき 藤原長能(後捨遺和歌集)
宮城野を思い出つつ植えしける本荒小萩花咲きにけり 能因法師
宮城野もとあらのしたはれて露もくもらぬ秋の夜の月 重家集
ふるさとのもとあら小萩咲きしよりよなよな庭の月ぞうつろふ 新古今和歌集
風を待つ今はた同じ宮城野本疎(もとあら)の花の上の露 源実朝(金槐和歌集)
ふるさとのもとあら小萩いたづらに見る人なしみ咲きか散りなむ 源実朝(金槐和歌集)



平安時代から鎌倉時代にかけて詠まれた歌は「萩」に掛かる枕詞的に「本荒」が使われている。「萩」「宮城野」とともによく詠まれた。
とは言え、実際に陸奥(みちのく)「宮城野」にまで行った歌人はほとんどおらず、京の都から遙かに遠い陸奥に思いを馳せて詠んだもの。



宮城野の名に立つ本荒の里はいつより荒れ始めけむ 宗久法師(都のつと)



ところが南北朝時代の歌人である宗久法師のこの歌では、本荒は里の名になっている。「萩」で有名な「本荒の里」はいつから荒れ始めたのかという意味であるが、宗久法師は実際に仙台にまで行ってるので、仙台に「本荒」という場所があり、そこが荒れていたことを確認したのだろう。


現在では青葉区に「本荒通り」という地名が残っている。かつては「本荒町」という町名があったが、戦後に廃止された。







【現地訪問】



インターネットで「本荒」の地名を検索したら唯一ヒットした、「ENEOS Dr.Drive仙台本荒町店」




昔の本荒町に土井晩翠が晩年に過ごした邸宅が「晩翠草堂」として保存されている。



夕方遅くに行ったので閉まっていた



庭には晩翠の立像があった



土井晩翠の「晩翠放談」自序 

(冒頭)
「宮城野の本荒の小萩露を重み風を待つごと君をこそ待て」(古今集戀の部よみ人知らず)此昔の名所本荒の郷が今日仙臺市本荒町のある處其二十一番地が私の本邸であつたが、若干の貸家と共に二十年(一九四五)七月十日の爆撃で灰燼とな
つた。・・・」



土井晩翠は、本荒の郷が昔からの名所であって、そこに自宅があると認識している。

え〜と、太平洋戦争の仙台空襲で焼けてしまったが、戦後に建て直したものが現在残っている。




晩翠草堂の前、青葉通り。バス停の名称は「晩翠草堂前」





手元のノートには、「晩翠草堂に『本荒町の町名碑』がある」の備忘録があったが、訪問時に探すのを忘れていた。

















仙台出張の合間に訪れました








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