すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


村雲(むらくも)(兵庫県丹波篠山市)







雨の下年へぬ秋ぞなかりける村雲山の神のしるしに 大江匡房



丹波国ゆかりの歌をさまざまな資料から渉猟しているのだが、大江匡房(おおえまさふさ)の詠歌が圧倒的に多い。

大江氏は古くからの学者の家柄で、大江匡房も幼少の頃から学才を誇り最終的に官位は正二位、権中納言となって公卿に列した。

歌人としても優れ、百人一首に「高砂の 尾の上の桜 咲きにけり とやまの霞 立たずもあらなむ」が入集。

そんな大江匡房がなぜ丹波の歌を多く残しているのか。

Wikipediaで大江匡房の官歴を確認すると、1057年に16歳で丹波掾に任ぜられている。「(じょう)」は、国司としては「(かみ)」「(すけ)」に継ぐ三等官。

その後は学者としてのキャリアを積んでいくので、丹波国とのつながりはそれほど深いとは思えない。

それよりも、白河天皇、堀河天皇、鳥羽天皇の三代の大嘗会和歌作者であったことの方がうまく説明できる。

とくに白河天皇、鳥羽天皇の大嘗祭の主基国は丹波国であり、匡房としても若い頃の任国なので、ちょっと力が入って、いろいろと量産したのかな。













現地を訪問した。



国鉄篠山線の村雲駅跡に行った。



廃線跡マニアでないが、現在どのようになっているのか気になる。



恥ずかしい話であるが、いろいろと写真を撮ったものの、跡から確認すると違う道だった。一本ずれていた。

しかもなお、丹波篠山市の文化財指定等の目録より、村雲山は「松ヶ鼻から塩岡方面へとつらなるなだらかな山」と確認していたのに、そのことを忘れていた。



近くの風景を撮影した














廃線跡マニアのホームページの情熱が強すぎる






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