| すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
錦の浦(和歌山県那智勝浦町)
| 台風シーズンの日本は、世界有数のビッグウェーブが楽しめるサーファー天国になる。 とくに台風が台湾付近にあって、台風のうねりが日本の海岸に入りだす数日間は、サーファーたちは何はともあれ、仕事をほったらかしにしても、海へ繰り出していく。 普段はまったく波のない穏やかな海岸が、ハワイのノースショアか、バリ島のウルワツか、と思うぐらい完璧な波が繰り返し押し寄せてくる。 那智の海岸もその一つ。 普段の那智海岸 ![]() ![]() ![]() 夏には海水浴でにぎわうらしい。 そしてこの海岸は中世の「補陀洛渡海」(ふだらくとかい)の出発点であった。 補陀洛渡海とは、 簡単に言うと、南方の補陀洛浄土を目指して、不帰の船出を行うこと。 修行を積んだ僧侶をわずかな食料とともに小さな屋形船に乗せ、屋形は外からくぎを打ちつけ、併走船が沖合まで曳航し、綱を切って大海に放すという、究極の自殺行。そこまでして観音浄土に行きたかったのだろう。 那智海岸が出発の場所であったらしい。 沖で曳航の綱を切るのは「綱切島」という島のところに達した時。 国道沿いの小高いところから撮影したが、多分この島が綱切島かな。 ![]() 古文書には、25回程の補陀洛渡海が記録が残されている。 近くの補陀洛山寺には、それら25名の渡海上人等の名を刻した記念碑があった。 ![]() 平清盛の孫の平維盛の名前も載っていた。 ![]() 「渡海上人 平維盛 供養塔」 昔は那智海岸のことを「錦の浦」とよんでいたらしい。 歌枕も「錦の浦」。 |
| 名に高き錦の浦をきてみれば かづかぬあまは少なかりけり | 道命法師(後拾遺集) | |
| 名高い錦の浦に来て見ると、褒美を与えられない海人は少なかったよ。 水中に潜らない海人が少ないように |
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