すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
長岡(京都府向日市)
長岡は、言わずと知れた古代日本の都城。 平城京から784年に遷都され、長岡京として日本の都であったが、自然災害や人心の荒廃が続き、わずか10年後の794年に平安京へ遷都された。 平安時代には、古き都として、一部の貴族の別邸が残ったものの、辺りは田畑が広がる田園地帯となっていたようだ。 伊勢物語の第八十四段には、主人公の「むかし男(在原業平)」と、長岡に住んでいた母親との親子間の歌のやり取りが載っている。 (さらぬ別れ) むかし、男ありけり。身はいやしながら、母なむ宮なりける。その母長岡といふ所に住み給ひけり。子は京に宮仕へしければ、まうづとしけれど、しばしばえまうでず。ひとつ子さへありければ、いとかなしうし給ひけり。さるに、しはすばかりに、とみの事とて、御ふみあり。 おどろきて見れば、うたあり。 |
老いぬればさらぬ別れのありといへば いよいよ見まくほしく君かな | 在原業平の母親 |
かの子、いたううちなきてよめる。 |
世の中にさらぬ別れのなくもがな 千代もといのる人の子のため | 在原業平 |
え〜と、簡単に書くと、 業平は官位が低いが、母親は内親王であった。 母親は長岡に住み、業平は京で朝廷に仕えていたので、二人はなかなか会えず。 一人っ子だったので母親は業平を愛していた。 年末に突然母親から手紙が来た。 「年を取れば死ぬので、ますます会いたい、云々・・・」 業平は号泣して、 「長生きしてほしい、云々・・・」 あんまり印象に残るような段ではないようだ。 都名所図会「長岡」 (国際日本文化研究センター) ![]() 左上に業平母の塔が描かれている。 「行き来する人々は、尾花の袖、萩の花妻をかかげてここに立ち寄り、懐旧の和歌を詠むものが多かった」と、記されている。 ■現地訪問 長岡宮跡、 大極殿公園として整備されていた。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 「史跡 長岡旧跡」の石碑 ![]() 長岡宮の模型 ![]() 現在の地図と合成、住宅地になっている。 ![]() 現地の案内板にあったイラスト 次の歌も長岡の廃れた様子を感じる |
長岡や田面の庵に荒れまくに 寝覚めいざなふ鴨の羽掻き | 西園寺公経(千五百番歌合) |