すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


ながたに川(京都市左京区)





岩倉八しほ染めたるくれなゐを長谷川におしひたしつる 西行




京都市左京区、旧岩倉村の「ながたに」にはいろいろ由緒があるようだ。

Wikipediaによると、

岩倉長谷町( - ながたにちょう)
「町名の「長谷」はかつての大字名に由来し、平安時代以来の古い地名であって歌枕とされている



Wikipediaではこのように「歌枕とされている」と解説されているが、「ながたに」を詠んだ歌は、上の西行の歌しか寡聞にして知らない。
誰か知りませんか?

Wikipediaでは続けて、 

「平安時代には普門寺や解脱寺などの寺院が建立され、古くから貴人の隠棲地として知られていた。」

と記されている。
三舟の才で有名な藤原公任も晩年はこの付近に庵を結んだらしい。


「都名所図会」によると、

「長谷川は八塩の岡の北なる谷より流れ出でて、長谷村の中を西へながれ、岩蔵大雲寺の前より南へ落ちて、幡枝(はたえだ)にながるるなり。花園は長谷の南にあり。」


この都名所図会の説明によると、ながたに川は岩倉盆地を東から西まで貫流していたことになるが、流路が変わったのだろうか。
現在では岩倉盆地の東北の谷筋から流れ出て、岩倉長谷町を南流して岩倉川に注いでいる。


地名の「八しほ」「八塩の岡」は、紅葉で有名とのことであるが、どこにあるのかよく分からない。






これが「ながたに川」


農業用水路級だった



これも



その後、岩倉中通りに沿って流れる


西行の歌では、ながたに川を紅葉の落ち葉が赤く染めているとしている。



住宅地では暗渠化している。



岩倉長谷町の附近。岩倉中通りの風景。




















「追記」
「ながたに山」を詠んだ歌。この近くの山だろうか。


人の命長谷山に掘るといはば 死ぬるところはあらじと思ふ 藤原定頼


「命」と「長い」を掛けたようだ













このページを読み返しましたが、
しんどい内容に仕上がっています。






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