すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


名草(和歌山市)





現在の和歌山市南部と海南市の地域一帯は、古代「名草郡」と呼ばれていた。
古事記では神武天皇の東征で反乱軍とされたのは「名草族」。最後は神武天皇軍に鎮圧されてしまうが、今でも激戦の跡地が残っている。
郡は部郡と合併し、合成地名として現在の海草郡となる。



名草山言にしありけり吾が恋ふる千重の一重も慰めなくに 古事記
もの思ふを名草の浜の岩千鳥なぐさむだにぞ鳴きまさりける 藤原兼輔

名草は「慰める」を掛けることが多い



和歌の浦から名草山を望む



名草山の近影(JRの車内から)
西国三十三カ所の紀三井寺が見える




なんにも書くことのない歌枕の地でした。



紀三井寺に行ってみたいと思います。
 









< 追記>

2015年3月に紀三井寺に行きました。
そこで、上記の万葉歌
名草山言にしありけり吾が恋ふる千重の一重も慰めなくに
の歌碑を撮影してきました。

紀三井寺境内にて


<追記>その2

2015年5月、毛見の濱宮神社に行ってきました。



村の鎮守社のような佇まいでした。


由緒書きがあって、和歌が刻まれていました

紀の国いせにうつりし跡ふりてなくさの浜にのこる神がき 本居宣長

とにかく天照大神のご零代は伊勢に遷っていったという



濱宮碑





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