すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


中川(京都市上京区)




中川って、人の苗字みたいで、和歌とかに全然似つかわしくないのだが、これは西の桂川と東の鴨川の間にあったからという説がある。
(あまりにも鴨川に寄りすぎているが)


中川は、平安時代には貴族の邸宅の庭に水を引き込んだり、源氏物語にも登場するなどし、そして歌枕としても知られていた。


現在では消滅か、暗渠化していて、実見することができない。



■ 中川について
・昔の今出川のこと、また下流は京極川のこと
・昔の東京極大路、現在の寺町通に沿って南流していた。
・相国寺の境内には川の跡が残っているとか。
・鴨川から分流していたとか、独自の水源があったとか、諸説あり。
・源氏物語では、空蝉や軒端萩が住む紀伊守の邸宅は、中川のほとりにあり、光源氏はこの邸宅に通っていた。
・能の「碁」(軒端萩)は、空蝉と軒端萩が碁をしている場面が印象的だが、中川の旧跡が舞台となっている。



こう書いてきて、何が何だか分からなくなってきたが、とりあえず現地へ訪問。


丸太町通から寺町通を北に入ったところ。御所の東縁。
この道に沿って中川が流れていたようだ。
ここから北へ向かって進んでいくことにした。



藤原道長が建立した法成寺の辺り。いまは石碑が残るのみ。



梨木神社の辺り



蘆山寺の前



今出川通の手前




う〜ん、ただの道になっていた。



こんな中川を詠んだ歌


恋ひて泣く涙に影は見えたるを中川までもなにかわたらん 和泉式部


中川の水絶えにけり末の世は秋をも待たでかれやしにける 安法法師集


ながれての床とたのみて来しかどもわが中川はあせにけらしも 蜻蛉日記


いかなれば流れは絶えぬ中川に逢瀬の数の少なかるらむ 藤原顕家(千載和歌集)


この頃はながるる水をせき入れて木蔭すずしき中川の宿 葉室光俊



「絶ゆ」「浅し」「浅瀬」などを詠み込んで男女の仲の途絶えを表現する歌が多い(「歌枕歌ことば辞典」片桐洋一より)、とのこと。









さて、源氏物語で「中川のわたり」の邸宅で碁を指していた空蝉と軒端萩であるが、光源氏が忍び込んで、空蝉と軒端萩を取り違えたエピソードで、松尾芭蕉がこんな俳諧を詠んでいる。

唐黍や軒端の萩の取りちがえ 松尾芭蕉

空蝉と軒端萩を取り違えたのを、軒端のトウモロコシと変えている。
まあ、なんというか、





*******





都名所図会「蘆山寺」(国際日本文化研究センター)

蘆山寺の前を流れているのが江戸時代の中川だろう。













桂川と鴨川の間にあるので中川となったとありますが、
どうも鴨川に近すぎると思います。






copyright(C)2012 すさまじきもの 〜「歌枕」ゆかりの地☆探訪〜 all rights reserved.