すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
那須野(栃木県那須町?)
どうも行く先を間違えたようだ。 「奥の細道」の行程とか位置関係を考えても、なんとなくおかしいと思っていたのだが。 古来、歌枕として「那須の篠原」があって、それは栃木県の大田原市辺りに広がっていた原野だそうだ。 一方、私が「那須野」のゆかりの地として訪問したのは、那須町の那須温泉神社(殺生石)の近辺。那須町であるし、那須野御用邸もあるので、ここで決まり!と考えていた。 東北旅行から帰ってきて、改めて「奥の細道」を読んでみて、やっぱりおかしいと思った。芭蕉たちは、黒羽(大田原市)で「那須の篠原」を見た後に、雲厳寺を経て那須温泉神社(殺生石)に向かっている。 つまり、私が訪問した「那須野」は「那須の篠原」ではなかった。 う〜ん、「那須」といっても色々あるんやな。 これについて、栃木県のホームページに分かりやすく説明されていた。
これによると、私が訪問したのは「広義の那須野の原」であって、「那須野」には間違いなかったが、世に言うところの歌枕「那須の篠原」ではなかった。 さすがに松尾芭蕉は正解である。きちんと「那須の篠原」を見学し、所期の目的を達成している。 なお、私が間違った理由は簡単。事前勉強不足と土地勘がなかったこと。大阪在住の私にとって、栃木県も下野国も那須野も福島もみちのくも全部同じように見え、違いがなかなか分からない。 手前味噌であるが、私は南大阪の、泉州、泉北、泉南、阪南、和泉、泉大津、泉佐野、和泉鳥取、和泉中央、泉が丘など「泉」関連の地名を完璧に峻別できる。 地元なので。 以上のような状況であるが、とりあえず私が撮ってきた写真 これらは那須温泉神社(殺生石)の東側の山麓の写真で、栃木県の定義によると「広義の那須野」になるようだ。 なんと言うか、多分この辺りの風景はどこも同じだろうから、広義も狭義も風景としては変わらないのだろう。 次に那須温泉神社 参道。 殺生石のすぐ隣り。 源平騒乱の屋島の戦いで、那須与一が扇の的を射るに際し、当神社に成就祈願したということで有名らしい。 こんな感じで平家物語に登場
曽良が記した曽良日記には、那須温泉神社に参詣し、那須与一関連の宝物を見学したとの記録がある。 |
湯をむすぶ誓ひも同じ石清水 | 芭蕉 |
その他、那須野に関連する歌を少し紹介 |
みち多き那須野のみ狩りの矢さけびに、のがれぬ鹿の声ぞ聞こゆる | 藤原信実 |
もののふの矢並つくろふ小手の上に、霰たばしる、那須の篠原 | 源実朝 |
那須野の平原では、古来は狩をしたり、武士の世になってからは軍事演習をする場所だったことがわかる。 |
いとまあらば君も一度来て見ませ 那須野が原の雪のあけぼの | 乃木希典 |