すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


寝覚の床(ねざめのとこ)(長野県上松町)





木曽の寝覚で昼 夜明け前


島崎藤村の「夜明け前」(第二部)

「木曽の寝覚で昼、とはよく言われる。半蔵等のように福島から立って来たものでも、あるいは西の方面からやって来るものでも、昼食の時を寝覚に送ろうとして道を急ぐことは、木曽路を踏んで見るもののひとしく経験するところである。そこに名物の蕎麦がある」


木曽路を旅する人は、寝覚の床にある名物の蕎麦を昼に食べようと道を急いだらしい。

主人公の半蔵は木曽福島からの出発が遅れたので、蕎麦屋に着いたとき、他の客は食事を終わりかけていた。

なんと、半蔵の知人の中津川の景蔵も同じ蕎麦屋で昼飯を食べていた。


「半蔵は福島の立ち方がおそかったから、そこへ着いて足を休めやうと思ふ頃には、そろそろ食事を終わって出発するやうな伊勢参宮の講中もある。黒の半合羽を着たまま奥の方に腰掛け、膳を前にして、供の男を相手にしきりに箸を動かしてゐる客もいる。その人が中津川の景蔵だった。」


長野山梨方面への旅を前に、島崎藤村の「夜明け前」を読んだ。単純な感想として、トルストイに匹敵する内容だと思った。読んでいて退屈なことと、深い命題が奥底にあること。

主人公の半蔵が寝覚で食べた蕎麦が気になったが、現地到着が朝8時半だったので諦めた。

しかしながら今になって思うのは、時間をずらしてでも無理に食べれば良かったと(開店時間は10時30分)。本当に悔やんでしまう。いつか再訪することがあるのかな。



越前屋そば店のホームページの画像






木曽街道中膝栗毛(十返舎一九)より


続膝栗毛 木曽街道膝栗毛(十返舎一九)より 




これが越前屋そば店。
現在は国道沿いに店舗を構えるが、昔は山側を通る中山道沿いに店を出していた。旧店舗は現在保存されているそうだ。




越前屋の蕎麦を詠んだ歌(狂歌)


ば白くやくみは青く入れものは 赤いせいろに黄なるくろもじ 十返舎一九


越前屋そば店のホームページより



















さて、寝覚の床とは浦島伝説に基づくもの
超簡単に記すと、
・竜宮城で三年間すごした浦島太郎は此の地で夢から覚めた
・そして目を覚ました岩床を「寝覚の床」というようになった
・浦島太郎は岩の上から釣りをして過ごした
・釣り竿は寝覚の床の崖の上にある臨川寺に保存されているとか
・花崗岩の巨石が織りなす奇観は国の名勝に指定









■では現地へ訪問



浦島伝説が伝わる臨川寺へ




拝観料は200円
臨川寺から寝覚の床に下りる階段がある




臨川寺から寝覚の床を望む
手前はJR中央西線
この高低差を下りてまた登ってくるて大変やなと思った




広角モードで撮影
いや〜素晴らしい!




これが寝覚の床




現地の案内板より








実は「寝覚の床」を詠んだ歌はたくさん残っているが、それは一般的な歌語である「寝覚」と、それと関連深い「床」の熟語を用いたものであって、とくに木曽路の名勝の「寝覚の床」を詠んだものでない歌が大半。

秋の夜中に、目を覚まして、鹿や松虫などの鳴く声を聞いた、京の都の郊外で、というパターン。

そんな中、本当に木曽路の寝覚の床を詠んだ歌を集めてみた。



山里は寝覚の床のさびしきに たへず音なふ滝枕か那 細川幽斉



老の身に思ひをそえて行道の 寝覚の床の夢もうらめし 小倉実起
江戸時代前期の公卿



谷川の音には夢も結ばじを 寝覚の床と誰が名つくらん 近衛家照
江戸時代中期の貴族で関白・摂政太政大臣



岩の松ひびきは波にたちはかり 旅の寝覚の床ぞ淋しき 貝原益軒


浦島もかゝるけしきの寝覚には 小便よりもつりやたれけん 十返舎一九


七とせの あとおやおもう たれか又 ねさめの床の 雨のよすがら 木曽八景


ひる顔に ひる寝せふのも の山 松尾芭蕉






浦しまのよはいものべよ法の師は ここに寝覚の床をうつして 綾小路有長
江戸時代後期、明治時代の公卿、華族、綾小路家14代当主



おべんたうを 食べて洗って 寝覚の床 種田山頭火








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木曽路名所図会「臨川寺、寝覚床」 (早稲田大学図書館)


















タモリが泣いて喜びそうな場所でした







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