すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
底清きにひたの池の水の面は くもりなき代のかがみなりけり | 藤原為政(大嘗会和歌集) |
『この歌は、長和五年(一〇一六)十一月二日の後一条天皇即位の儀式・大嘗会に備中国の主基歌として内蔵権頭善滋朝臣為政が「新田池」と題して詠んだ歌である。笠岡の先学小寺清先・清之の「備中名勝考」の中には、「新田池、入田村にあり。新田をいま入田とかける。文字のたやすきにしたがへるなり」と説明している。』 |
はじめてやちとせのかげをうつすらむ にひたの池の春の青柳 | 藤原隆教(夫木和歌抄) |
『この歌は、正安元年(一二九九)後伏見天皇の大嘗会に当たり 備中国の主基歌として大蔵卿驪ウが同じく「新田池」と題して詠んだ歌で、「備中名勝考」では「此池を里人は青草池ていへり。此外にも、池はあまたあれども、小くして、古しとも見えず。また柳なし。ただ此池にのみ、今も柳あまたあり。こはそのかみの柳の生つぎしものなるべし。」とある。』 『小寺清先が見た当時(一八〇〇年頃)の池には、柳が青々と生えていたのであろう。又、池の名前は新田池から仁田池に変わり、地名は入田(にゅうた)に変わって来た。いずれにせよ、古代から中世にかけて丹生の生産が盛んに行われていた所と想像される。』 |
岡山公民館郷土史研究会 |
1800年頃には柳が青々と生えていたという新田池の現在の姿![]() ![]() ![]() ![]() 訪問したのは4月8日、桜の時期が終わったところ。 柳は3月ぐらいから若菜を付けだして、梅雨時に青々と茂るようなサイクルだったと思うので、写真で見る限りよく分からない。 どこにでもある池であったが、大嘗会で詠まれた池だと思うと、なるほどそれとなく気品があるなと思えるような、そんな池だった。 ![]() 堰堤から下流方面を眺める |