すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


二万(にま)の里(岡山県倉敷市)





二万(にま)の里」は、実に由緒深い地名である。


斉明天皇の時代、唐と新羅の連合軍に敗れた百済を救援するため、大規模な遠征軍が徴用された。その際にこの村から二万もの兵士が応募したため、喜んだ天皇が「二万の里」と名付けたという。


まあ、その当時の日本の人口がどのくらいだったのか、ちょっと分からないが、二万人というのは多すぎる数字だ。天皇が喜んだのも頷ける話である。


その後、朝鮮半島に渡った遠征部隊は白村江の戦いで大敗している。二万の里から出征した兵士たちは無事に還ってこれたのだろうか。







そんなエピソードのある二万の里を詠んだ歌を紹介


貢ぎ物運ぶよほろを数ふれば 二万の里人数そひにけり 藤原家経(金葉和歌集)
貢物を運ぶ公用人夫の数をかぞえてみると、二万の里の人の数は
更に増えたのであった(おかやまの和歌/岡山県郷土文化財団) 


君が代は二万の里人数ふれて 数より外に数そひにけり 小侍従(正治初度百首)
 我が君の御代は、あの二万の里人を数え上げるほどに長く続くことでしょう。
その「二万」という数にさらに数が加わって、気が付いたら、限りなく長久な
治世になられていた。きっとそうなりますよ。(木下 華子/国文学者)
 


君が代は二万の里人数そひて 絶えずそなふる貢ぎ物かな 小侍従集


君が代は二万の里人うち群れて 永きかたみに若菜をぞ摘む 藤原実樹(夫木和歌抄)


末遠き春の迎への御調物 数々はこぶ二万の里 藤原隆教(夫木和歌抄)


布さらす二万の里とも見ゆるかな 卯の花咲ける垣根垣根に 藤原季綱(夫木和歌抄)


二万(にま)坂をうちいでて見れば梅の花咲ける山辺に妹が家みゆ 平賀元義









【現地訪問】


現在二万の里は、上二万と下二万の二つの地区に分かれている。
訪問した時期はちょうど田植えを終えて田んぼに水を張ったところだったようで、豊かな田園地帯であった。


上二万地区









ここは下二万地区



どこも同じような風景が広がっていた



小田川に架る橋の名前は二万橋

















エピソード感のある地名が好きです






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