すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


能褒野(のぼの)(三重県亀山市)




日本武尊は東征の帰路に伊吹山の荒ぶる神との戦いに敗れ、傷を負って故郷大和国へ帰る途中、伊勢国「能褒野」で亡くなった。


古事記、日本書紀のこの記述に基づき、明治時代の内務省が三重県亀山市にあった前方後円墳を日本武尊の墓として認定した。


その後、日本武尊の遺徳を偲ぶべく、地元住民により「能褒野神社」が陵墓の隣に創建された。


最近になり、能褒野陵周辺の良好な自然環境を生かして「のぼのの森公園」が整備され、市民の憩いの場となった。







つまり、
@三重県亀山市にそれなりに大きな前方後円墳があって、
Aそれを明治時代になっていきなりヤマトタケルノミコトの墓だということにして、
B地元民もそんなすごいところだったら神社を建てようということになり、
Cその結果、自然環境が残されて、現在は公園になったもの。



な〜んだ、近代になって創出された「伝説の地」なのか、ちょっと眉唾モノだな〜と言うなかれ。全国の史蹟、故地、ゆかりの地、これらの大半は江戸時代に観光用に作られたもの。
この能褒野陵は、たまたま近代になって治定されたので、記録として残ってしまったのだ。











2015年夏、三重県の史跡巡りの旅の最終訪問地として能褒野神社を訪れた。




のぼのの森公園
近代的な公園として整備されていたのはこの一角だけであって、あとは自然環境がそのままに残されていた。

つまり、真夏に訪問したので、あらゆる虫が跳梁跋扈し、とくに夕方だったので、本当に大変な思いをした。



こんなかんじ。たくさんの虫が飛び交っていた。




子供が小さかった時は虫取りも楽しかったが、今となってはちょっと厳しい。





公園の周辺、田園地帯が広がっていた。





能褒野陵、宮内庁が管理。





能褒野神社





公園と陵墓と神社を巡ったが、その間、誰とも出会わなかった。
まさに森閑としていた。





日本武尊が最期に詠んだ歌


やまとは 国のまほろば たたなづく 青垣 山ごもれる やまとしうるはし 日本武尊



歌碑は奈良市の春日大社の参道にあったもの







維新の志士である八田知紀という人物(薩摩藩士、維新後は宮内省に出仕、歌道御用掛)の歌。

白鳥のかげこそみえね御つるぎのさやかに跡は残りけるかな 八田知紀
















なんか、それなりの感動がありました。





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