すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


野々上(大阪府羽曳野市)




思い出

学生時代、友人Sの彼女が羽曳野市野々上に住んでいた。
みんなでドライブに行った帰りに、友人Sとともに、その彼女を家まで送っていった。冗談で「部屋でコーヒー飲ませてや」と言ったところ、家に入れてくれたのだが、案内されたのは家族が団欒する居間。そこには風呂上がりの親父さんが座っていた。
その親父さんはとても機嫌が悪く、友人Sが結婚の申込みをするために来たと勘違いしたようで、かなり厳しくいろんなことを問い詰められた。
その間、その彼女は黙ったまま。
関係のない私までキンチョーしっぱなしであった。
いやはや大変な思い出である。


そんな野々上は古代の難波と大和を結ぶ街道沿いにある。
現在は府道31号堺羽曳野線が通っている。
二車線なのでいつも混雑している。


余談であるが、この周辺には「野」に因んだ地名が並ぶ。
高校時代の友人Mの住所は羽曳野市野。「おまえの住所って『野』だけかよ〜」ってからかったもの。
「野々上」の隣が「野」であって、その向こうが「向野(むかいの)」。
飛鳥時代に創建された「野中寺」もある。

なにか『野』のつながりがあるのかな?
もっと探せばいろいろ出てくるかもしれない。



そんな野々上を詠んだ万葉歌がこれ

霞立つ野の上の方に行きしかばうぐひす鳴きつ春になるらし 丹比真人乙麻呂(万葉集)


峰塚公園(羽曳野市軽里)に歌碑




たしかに「野の上」って言葉が出てくるけど、これは地名のことなのかな?
普通に「野の上の方」と解釈した方が釈然とする。
けれども立派な歌碑まで設置されたのだから、まあこの万葉歌は「野々上」を詠んだものなのであろう。











野々上にある野中寺に行ってきた。
野中寺は「やちゅうじ」と読む。創建は飛鳥時代にまで遡り、蘇我馬子と聖徳太子が建立したという由緒深い寺院。



これが山門。
昔の竹内街道(丹比道、難波と大和を結ぶ)に面していたようだ。



本堂
本尊は薬師如来



塔跡
これらから、往時はすごい伽藍堂があったとされている。



金堂跡



とにかく、すごそうなのが感じられた。
ただ、他に誰も観光客はいなかった。













「のなかでら」と言って、人に訂正されたことがあります





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