すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


能登原(広島県福山市)







広島県福山市能登原



能登原矢ノ島






広島県福山市沼隈町の能登原は平家物語ゆかりの地である。

讃岐国屋島の戦いで敗れた平家一門は瀬戸内海を西に逃れ、能登原の地に陣を張った。総大将は能登守教経(のとのかみのりつね)

一方、源氏側は那須与一を大将として対岸の田島に陣を張り、両軍は(にら)み合いを続けた。

そして、三日後に源義経お得意の奇襲作戦により平家側は総崩れとなり、さらに西海をさまよい、壇の浦へ追い詰められていく。

え〜と、能登守教経が、能登原に陣を張ったのではなく、能登守教経が陣を張った場所が能登原と呼ばれるようになった、と言うのが正解。

また、田島のすぐ隣にある矢ノ島。能登守教経が射放った矢が、海を超えて島に突き刺さり根がはったのが島名の起こりと。

その他、敗れた平家一族が住み着いた伝説が残る平家谷や、小宰相とおしどり夫婦だった平通盛を祀る通盛神社があったり、赤播(あかはた)神社があったり(源氏は白旗)、そのほかいろいろあって、一帯に平家物語ゆかりの地が点在している。


能登守教経が矢ノ島に矢を射た逸話を詠んだ狂歌がある



梓弓ひくしほどきに矢の島のあたりは誰も興にのりつね 桑田抱臍


阿伏兎海岸の道路脇に歌碑


桑田抱臍は江戸時代の狂歌師で、この辺りの出身。
梓弓(あずさゆみ)」は「引く」や「矢」に掛かる枕詞。






【矢ノ島眺望】


島が重なって矢ノ島が鮮明に見えない



これが矢ノ島
能登守教経はここから矢ノ島まで矢を射たとのこと








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実に立派な歌碑でした






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