すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


沼田(ぬた)(広島県東広島市)







ここも今川了俊の「道行きぶり」ネタ。

この南北朝時代の武将の九州遠征の紀行文は、山陽道マイナーネタの宝庫である。

このページの「沼田」も初めて聞く地名であり、現在も普通の田舎の集落であるが、よくぞこんなマイナーなところで歌が詠めたものだと感心してしまうほど。

「道行きぶり」の本文の中の、平教経のエピソードも弱いし分かりにくい。



・・・ 平家の世に沼田の(なにがし)とかやが(こも)りけるを、教経(のりつね)の朝臣の、攻め落としける所と申すめり。いまも(しづ)が田返す折々は、古き(しかばね)など掘り出す事も侍るに、矢の穴、刀のあとさえ見え侍るとなん。
 その辺に草とるといひて、田中に人あまたおり立てり。

袖濡らす習ひも悲し菖蒲(あやめ)刈る沼田の田の草今日はとりつつ 今川了俊(道行きぶり)



通釈によると、

平家の時代に、沼田の某とかいうものが、ここに籠城していたのを、平教経朝臣が攻撃をしかけて落城させた所ということだ。今でも農夫が田畑の土を掘り返す折々には、古い屍を掘り出すこともありますが、(その死体に)矢の穴や刀の傷跡さえ見えるということです。
その辺に草を取るといって、田の中に大勢の人が下り立っている。

歌は、

「菖蒲を刈るという沼ではないが、ここ沼田の田の草を今日取りながら、その袖を辛苦の涙と水とにびっしょり濡らす生活も哀れに思うことだ」

稲田利徳「 道行きぶり注釈」





え〜、沼田は平教経に攻められて落城し、戦いの傷跡のある屍が今も田んぼを掘ると出てくる、実に哀れだ、という内容。

「菖蒲刈る」は地名「沼田」を導く序詞的に使用。

よく分らないのが、沼田氏は平教経に敗れたものの、その後に壇ノ浦の戦いで平家と一緒に滅んでいること。











■ そんな沼田へ行ってきた



集落の中にあった郷社 沼田神社



沼田の田んぼが広がっていた





現在では田んぼを掘っても死骸は出てこないだろう




国土地理院の識別標高図
往古、海が深く入り込んでいた。
干拓を進める中、この辺りは沼のような田んぼだったので「沼田」という地名になったらしい。












マイナー故地も好きです





copyright(C)2012 すさまじきもの〜「歌枕」ゆかりの地☆探訪〜 all rights reserved.