すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


姨捨山(長野県千曲市)





棄老。
食い扶持を減らすために働けなくなった老人を山に捨てるという習慣は、かつての日本の多くの貧しい農村で実際にあった話である。

柳田国男の遠野物語には、60歳を過ぎた老人は山の上の老人の集団住宅に送られるが、昼間は山から下りてきて農作業を手伝ったりして、そのうち次第に死んでいったという伝承が収録されている。
これはそれほど激しいものではない。

一般的には、真冬に老人を山に連れて行って置き去りにしてくるとか、老人を谷に落とすとか、激しいものが多い。

伝説としてよくあるのは、老婆が、息子の妻と折り合いが悪く、妻にそそのかされて息子が母を背負って山に捨てに行くパターン。息子が山から戻ってくると、妻が姑の暖かい着物を着ていたりする。今まで姑に虐められてきた仕返しの意味もある。

そんな中、一番有名なのが信濃国更科の姥捨山伝説。大和物語にこの説話があり、多分大和物語の中で一番有名ではないかな。

この説話では男の母は既に死んでいて、男を育てたのは叔母。男の妻はこの叔母を憎み、男に対し山に捨ててくるよう責め立てた。男は泣く泣く叔母を背負って山奥に連れて行き置いて逃げてきた。

帰ってきた男は、長年育ててくれて一緒に暮らしてきた叔母のことを思うと堪えきれなく悲しくなった。その夜、山の上から明るい月が出てくるのを眺めながら一晩中寝ることができなかった。



そしてこの歌


我が心慰めかねつ更科姨捨山に照る月を見て 古今和歌集


次の朝、男は山から叔母を連れて帰ってきたとのこと。






え〜と、連れて帰ってきたら食い扶持は減らない。
真冬の、雪の降る夜だったら凍死してたろうが、季節の良い時期だったのだろう、朝に迎えに行って連れて帰ってきたのだから。




なんと、この歌が有名になり、更科の姥捨山は月の名所となった。








姥捨山を詠んだ歌


も出ででやみにくれたる姨捨に何とてこよひたづね來つらむ 更級日記


あやなくも慰めがたき心かな 姥捨山も見なくに 小町集


なぐさまずいづれの山も住みなれし 宿をばすての旅寝は 拾遺愚草


おもかげやひとりなくの友 松尾芭蕉



















現在では冠着(かむりき)山と山名が変わった。















現在においても同様の問題があります






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