すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


小田(岡山県矢掛町)







正徹(しょうてつ)は、室町時代中期の臨済宗の歌僧。

備中国小田庄の神戸山城主小松康清の子。

若くして冷泉為尹、今川了俊に歌を学び、冷泉家の歌風を継承する。

京洛歌壇での地位は漸進して上がり、室町時代を代表する歌人となった。



そんな正徹を出身地の『矢掛町史』では「藤原定家の再来といわれている正徹は、矢掛の生んだ中世における大歌人である」と最大限の賞賛をしている。



けれども正徹の知名度は低く、地味である。地元の岡山県でもほとんど知られていないだろう。

そこで、正徹の出身地の矢掛町小田地区では、「正徹を顕彰する会」が結成され、井原鉄道小田駅の駅前広場に顕彰碑などが立てられた。










【現地訪問】

小田駅南側

立派な史跡が整備されていた。



「正徹生誕の地」碑
地味である



小田駅、駅舎は立派であった



井原鉄道の列車







正徹の歌


故郷露
宿ぞなき住みけむ人の思ひおく 露や浅茅に故郷の野辺 正徹


小田駅前に歌碑




「正徹を顕彰する会」の解説を転記する

「歌意」
故郷の野辺には、今ではもう住居もなくなり、かつてそこに住んでいた人が、流した悲しい涙のように、露が浅茅においているばかり。

「観賞」
この歌は、かつて没収されていた備中国の小田の草庵領が、将軍足利義政の御代になり、「安堵の御判(所領の知行を保障する書判)を賜ったときの、歌会の歌題詠であるが、「故郷露」の「故郷」に小田の地を思い浮かべて詠んだとされる歌である。
康正二年(一四五六)正徹七十六歳の詠歌である。












こんな小田の地であるが、中世以来、小田を詠んだ歌はそれなりに残っている



年経たる小田の郡に刈る稲の 秋は雲とも見ゆるなりけり 藤原家経(大嘗会和歌集)

永承元年、1046年




春くればなはしろ水をまかすとてをだのさとびといとなかりけり 永保三年篤子内親王家侍所歌合

永保三年は西暦1083年




有明の月に夜ふけて出でたれば 小田の渡りに雁ぞなくなる 弓削嘉言(歌枕名寄)

現在、小田川に渡し跡が残っているらしい




床の上に置く露消えて程もなくよそに鳴子の小田の秋風 小田康清

足利幕臣床上小松秀清が小田庄を治める
子の康清が「小田」の姓を名乗った




長雨にてる日の本のてらざれば小田にみのらぬいねをいうなり 小田元家

1595年、毛利氏の都合で安芸の国へ転封を命ぜられた七代目元家は、初代秀清からの200年の土地を召し上げられた無念の思いを、歌に託して父祖の地を去ったという。
『笠岡市史』




五月雨を思ひのまゝにせき入て小田のますら男 さなへ取る也 上田秋声

「さなへ」は稲の苗のこと








今となっては田舎であるが、昔は山陽道も通っていて、メジャーな土地だったのだろう





















小田駅前にあった『小田みどころマップ』
「小田の渡り跡」ぐらいしか行きたいところはなかった





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