すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


岩屋観音(愛知県豊橋市)





東海道、吉田の宿から東へ一里半。
街道から小高い山が見えてくる。
これが岩屋山で、江戸時代には頂上に観音菩薩の銅像があって、遠くからも鮮やかに見えたらしい。
のちに太平洋戦争の物資供給でなくなったが、戦後、新たに観音像が建てられたという。


エピソードはいろいろあるが、えーと、ちょうどWIKIPEDIAに素晴らしい説明文があったので転載する。(大岩寺
宝永4年(1707年)旧暦10月、宝永地震が発生する直前、遠江国白須賀宿に泊まった(備前岡山藩主の)池田綱政の夢枕に観世音菩薩が現れ今後起きる地震や津波の難を告げたという。綱政一行は急ぎ、海道を西に上り、三河国二川宿へ入った。マグニチュード8.4とも推定される大地震が起こり、東海から九州にかけて大津波が襲い白須賀宿は南から来た海水の前に飲み込まれて壊滅した。命拾いをした綱政は観音の冥加と考え、岩屋観音に帰依した。 

岡山藩池田家の藩祖である池田輝政は豊臣秀吉の時代に三河吉田城主であり、地元の岩屋観音を信心していたという縁もあるようだ。


東海道名所図会「岩屋観音」 早稲田大学図書館

岩屋山の麓を東海道が通る。



拡大図。山頂に観音像が描かれている。






■東海道を歩いた時の写真


豊橋から歩いていくと、正面に見えてきた。



何というのかな、お椀をひっくり返したような、というか、小皿をひっくり返したような、プロポーションの良い、小山であった。



二川宿の方から撮影。





君が代は数も知られぬさざれ石のみな大岩の山となるまで 覧富士記


かすむ日や 海道一の たちほとけ 古市木朶

観音堂に句碑があるらしい

















東海道を歩くのに必死だったので、あまり覚えてません。






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