すさまじきもの ~歌枕探訪~


大巻(岐阜県養老町、)







住みなれし里も今更名残りにて立ちぞわずらふ美濃大牧 平田靱負


大巻薩摩工事役館跡に歌碑






「宝暦治水」って昔、学校で習ったような。


現地の説明板を転記する
 水との闘い
 宝暦治水のあらまし

 日本の治水事業の中で最大の難工事と言われた宝暦治水は、幕府が薩摩藩の勢力を衰えさせるため命じたものであります。宝暦四年(一七五四年)一月、総奉行平田靱負をはじめとする九四七名の藩士を美濃に派遣し始められました。
 工事区域は、三川下流全域の一九三ヵ村におよび、その工事は幾多の悪条件のもと宝暦五年(一七五五)五月に完了。工事総額は、四十万両という巨額にのぼり、又この工事で多くの藩士が命を落とす結果となり、平田靱負は全責任を負い割腹
  『住みなれし 里も今更 名残りにて
     立ちぞ わずらふ 美濃の大牧』

という辞世の句を残しました。
 薩摩藩士尊い偉業を讃えるとともに歴史的遺産を後世に伝えるため建立したものです。

平成七年(一九九五)十一月三日
平田靱負翁銅像建設委員会

平田公園の説明板、写真はWikipediaより



養老山地と濃尾平野の境界にある活断層は、その西側が隆起し、東側が沈下する。
この地殻変動により濃尾平野は、東側よりも西側が低い傾斜した地形となっている。
このため木曽三川は、東側の木曽川の水は真ん中の長良川に流れ込み、長良川の水は揖斐川に流れ込み、三川合流部分では毎年水害が多発していたものを、三川がそれぞれに分流して海に注ぐよう堤防を築いたもの。










■ 現地訪問



大巻薩摩工事役館跡の史跡
かなり立派なものであった



平田靱負の銅像



となりに少し小型の平田靱負の銅像があった



鹿児島県の木「かいこうず」と養老町の木「つげ」が並んで植えられていた



ちょうど藤の花が開花する時期であった



「宝暦薩摩治水工事顕彰供養堂」



現地にあった説明板



これも



亡くなった人の名前



現地周辺案内図



桜島のレリーフがあった



史跡の前の「薩摩花壇」














平田靱負が現地の地名になっている
岐阜県海津市「平田
道の駅「クレール平田」へ訪問



こんなかんじ
( 岐阜県海津市平田町野寺2357−2)














 国土交通省 中部地方整備局 木曽川下流河川事務所のホームページは
なにかと興味深い、見応えのある内容でした




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