すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


大之浦(静岡県磐田市)





大之浦は、静岡県磐田市の万葉故地である。
往古、この辺りは大きな入江が広がっていた。現在の海岸線まで約5kmもある。この入江を大浦とか大之浦と呼んだようだ。

現在の地図を眺めても、全く想像できないのだが、多分、江戸時代の米本位経済の影響で、入江は干拓され農地への転用が図られたのだろう。

地元では当然いろいろな研究がなされてきたようだ。
少しインターネットで検索しただけで、大之浦に関係するサイトを見つけることができる。

その中から、分かりやすい地図があったので、転載させていただく。


「城田涼子の戦国旅」の中の、「遠江万葉紀行」






磐田市立図書館





旧東海道は、大之浦の入江を巻くようにつづく高台部分をいて通っていた。
2018年11月、旧東海道を歩いた際に、街道からはるか大之浦の推定地を眺めてきた。



と言って、「これが大之浦の推定地だ!」と言えるようなドンピシャの写真など撮れるわけがなく、このようになんとなく段差があったので、多分、この下まで入江になっていたのだろうと、写真撮影。



これも。道が下っていて、その先に屋根が見えるので、そこが大之浦だろう。



これなんか分かりやすい。
この下が大之浦。



駐車場の向こうが大之浦。



台地の上に神社があった。天御子神社。それなりの由緒があるらしい。





こんな大之浦の関連の万葉歌


遠江国守桜井王の天皇への歌一首
九月のその初雁の使にも思ふ心は聞こえ来ぬかも 桜井王(万葉集)
 9月のその初雁の使によって、私のお慕い申し上げる気持ちは、
天皇のお耳に届かないものでしょうか(現地の説明板)

天皇よりの返歌一首
大の浦のその長浜に寄する波ゆたけく君を思ふこのころ 聖武天皇(万葉集)
大之浦の長々とした水際に寄せる波のように、心ゆったりとおおらかな
気持ちであなたのことを考えているこのごろです。 (現地の説明板)


ワークピア磐田に上記二首の歌碑


奈良に在住の天皇が、よく大之浦の地名を知っていたというのが、驚きである。多分、この近くに国分寺などがあったので、大之浦の地名も知識としては知っていたのだろう。
ところが、大之浦を「長浜」と続けて「寄せる波」を導いているが、大之浦は入江だったので、海岸が長々と続いていたわけではないだろう。奈良にいる天皇もあんまりよく分からないままに、知ってる地名を入れて詠んだのだろう、多分。













今之浦と大之浦の違いについて、だれか教えてください。






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