すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


大野浦(広島県廿日市市)







広島湾に浮かぶ宮島。

その宮島の本州の対岸は「大野」という地名である。

現在の廿日市市にあたる。

室町時代の武将、今川了俊が九州へ下向する途中、この地で歌を詠んでいる。



大野浦をこれかと問へば山梨の片枝の紅葉色に出でつつ 今川了俊(道行きぶり)
大野浦という所はここかと尋ねたところ、山梨の片枝の紅葉が
はっきり色に出しながら、「そうだ」と答えていることよ
(稲田利徳「道行きぶり注釈」)


JR大野浦駅(東側)に歌碑



え〜と、この歌には本歌がある。
古今集、東歌麻生(をふ)(うら)に片枝さしおほひなる梨の成るもならずも寝て語らはむ」で、「をふのうら」を同音の大野浦に掛けたもの。
なお、「麻生の浦」は伊勢の歌枕である。






これが大野浦
宮島へ向かうフェリーから南東方向を撮影
宮島と本州の間の海峡は現在も「大野瀬戸」





そしてこれはJR大野浦駅



大野浦駅(2階)から大野浦を望む
宮島は見えるが、宮島との間の海は見えない
もう少し高さが必要



227系車輌レッドウイングが通っていった

















さらに、
「大野」つながりであるが、今川了俊は同じ旅路で旧山陽道の山道『大野中山』を歩き、歌を詠んでいる



とにかくに知らぬ命を思ふからわが身五十路に大野中山 今川了俊(道行きぶり)

昔誰蔭にもせむと蒔く椎の大野中山かく繁るらむ 今川了俊(道行きぶり)


疣観音堂(廿日市市大野)に二首併刻の歌碑




え〜と、老齢の気負いを示す「五十路を負う」と「大野」を掛けたり、椎を蒔いて夏の蔭にするという万葉歌を想起したり、さすが歌学に通じた今川了俊の力量を感じるものがある。



旧山陽道沿いにあった疣観音堂 
ここに歌碑がある
(経緯度 34.320515, 132.288029 )



旧山陽道





そして疣観音堂のすぐ近くの椎宮神社に向かった

きちんと手入れがされていた
(経緯度 34.321765, 132.285646 )



この辺りは昔椎の木が生い茂っていたらしい
この木が椎の木なのかどうかは分からない













今川了俊と細川幽斎、どちらがすごいのだろうか





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