すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


逢坂の関(滋賀県大津市)








「逢坂山関址」碑、逢坂の関記念公園にて



いやはや、「逢坂」は百人一首に三首も詠まれている。
これは「難波」と並ぶもの。



一挙掲載



これやこの 行くも帰るも 別れつつ 知るも知らぬも 逢坂の関 蝉丸(百人一首)







名にし負はば 逢坂山さねかづら 人に知られで くるよしもがな 三条右大臣(百人一首)





真葛(サネカズラ)は蝉丸神社下社に植えられていた。





夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ 清少納言(百人一首)







歌碑は三つとも逢坂関記念公園あった


駐車場がなくて、大変だった。










逢坂山は飛鳥時代の頃に設置された関で、ここで畿内と東国を分けていた。「おうさか」の読みから、人と「会う」「出会う」を想像され、そこに関があったことから、「会うことができない」につなげたりしている。


滋賀県に旅行に行ったときに、寄ってみた。


現在の逢坂関

ちょうどここが峠の場所。左が逢坂関記念公園。



国道一号線。今も昔も往来は混雑している。



京阪電鉄も同じ峠を越えている。











いろんな古典の場面で登場する逢坂関であるが、やっぱり一番印象に残っているのが源氏物語の「関屋」かな。
源氏の君が若いころに、一夜限りの逢瀬をした人妻の空蝉。空蝉はそのあとも源氏に恋焦がれるが、身分の差を懸念して、源氏が求めてきても逃げまくっていた。
月日がたって、空蝉の夫は常陸守の任期が終わり、一家で上京してきた。逢坂山に至った時に、石山寺へ向かう源氏の一行と再び出会ってしまった。


このとき源氏から空蝉に送った歌

わくらばに行き逢ふ道を頼みしも なほかひなしや 潮ならぬ海 光源氏
「逢う道」に「おうみ(近江)」を掛けている



これに対し、空蝉は

逢坂の関やいかなる関なれば しげき嘆きの仲を分くらむ 空蝉


恋は再燃することなく、そのまま終わってしまった。


当初二人が出会ったのは、光源氏がかなり若い頃で、その時に空蝉はすでにそこそこの年齢の人妻であったので、この逢坂関の再会の時には相当なおばさんになっていたはず。












その後、空蝉は死んだ夫の義理の息子に求愛されているので
まだまだそこそこだったのかも知れない。




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