すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
承久の乱で後鳥羽上皇は隠岐に流されたが、その配流のルートについて、一般的には播磨国から美作国、伯耆国を通る出雲街道だとされているが、一方で尾道から備後国を北上して出雲湊に至ったという異説のルートが地元に伝承されている。それを後鳥羽伝説という。 備後国への歌枕巡りの旅を計画し始めたのは5年くらい前のこと。すぐさま関連書籍として後鳥羽伝説に着想を得た内田康夫の『後鳥羽伝説殺人事件』を読んだ。 それから5年の歳月が過ぎ、『後鳥羽伝説殺人事件』がどんなストーリーだったのか、今はまったく覚えていない。後鳥羽伝説とはあまり関係の無いストーリーだったような気がする。 とにかく、旅の予定から逆算して関連書籍を読むべきで、そしたら旅のボルテージも上がるというもの。 今回の訪問地は、そんな後鳥羽上皇の伝説地の一つ、「 三次市三良坂町を流れる上下川が増水し、後鳥羽上皇は川を渡れなかった。 そこで詠んだ歌 |
われこそはわたりゆくべき川水も 心あらばやかわきだにせよ | 後鳥羽上皇 |
まあ、隠岐に流される旅路なので急ぐ旅でもなさそう。ゆっくりしてもいいのに、と思うのだが、どうだろうか。 【現地訪問】 ■ 現在は上皇の渡河地点に橋が架かっている。 ![]() これが皇渡橋。県道61号線(三次庄原線)、上下川に架橋 ![]() 橋の上。県道はとても走りやすい道だった ![]() 上下川。増水して上皇は渡河できなかった この川は手前から向こうへ流れ、最後は江川となって日本海に注ぐ ![]() 上流側 ![]() 「おおわたりばし」 ![]() バス停も「 |