すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


大石田(山形県大石田町)





現在の山形県の大石田町は、田舎の町という以外に表現しようがないような様相で、多分、町はずれのセブンイレブン(尾花沢市)が一番繁昌している店になるような具合である。
山形新幹線も大石田駅に止まるが、ほとんど利用されていないようだ。
大石田町の総人口は6941人(2018年)。これからもどんどん高齢化は進み、人口は減っていくのだろう。農業以外に何か特長があるのかな?


こんな大石田の町であるが、近代までは最上川の舟運の恩恵を最大限に生かして、地域の重要な港湾拠点として栄えてきた歴史がある。

たとえば、大石田から積み出した物資は、最上川を下り、酒田港から西廻り航路に繋がっていたり、逆に仙台藩へは、最上川の舟運で物資を大石田に陸揚げして、仙台藩へ運び込んだりと、まさに最上川交通の一大中継河岸として機能していた。


え〜と、文学的には松尾芭蕉と正岡子規であろう。
ただ、二人の大石田との邂逅のエピソードはほとんど知られていない。実にマイナーなエピソードである。


■ 先ず松尾芭蕉

芭蕉は立石寺(山寺)を見物したあと、大石田に向い、高野一栄と高桑川水を訪ねた。
これは尾花沢の鈴木清風宅で知合った二人から、立石寺からの帰路に是非大石田へ寄ってほしいと懇請があったためで、芭蕉は大石田で三泊している。

大石田の高野一栄宅では、芭蕉、曽良、一栄、川水の四人で歌仙を巻いている。その表発句には、

五月雨を集めて涼し最上川 松尾芭蕉

と詠んでいる。
歌仙興行の最初の句なので、多分に亭主に対する儀礼的な意味合いもあって、このように当地の快適さを表現した内容となったようだ。
このあと奥の細道を編纂する際に『涼し』の部分を『早し』に置き換えて収録している。
芭蕉は大石田に来て初めて最上川を見たのだが、最初の印象は『涼しい』だったのが、のちに最上川の川下りなどを経験するうちに考えが変わったのだろう。



なんと、芭蕉が三泊した高野一栄宅の跡地が史跡となっていた。



このトタンの家、ではない。このトタンの家の場所に、昔、高野一栄宅があったもの。



高野一栄宅跡と最上川の位置関係。
現在では堤防が築かれているが、昔は舟に直接乗船できたのだろう。



最上川。真夏の訪問であったが、まさに涼しい光景であった。



大石田大橋。
カンチレバー橋っぽいけど、トラス橋とのこと。








■ 正岡子規

芭蕉の足跡をたどって、正岡子規が大石田にやってきたのは、明治26年の夏の頃。「はて知らずの記」として、紀行文が残されている。

三里の道を半日にたどりてやうやう大石田に着きしは正午の頃なり。最上川に沿ふたる一村落にして昔より川船の出し場と見えたり。船便は朝なりといふにここに宿る。

ずんずんと夏を流すや最上川 正岡子規(はて知らずの記)

正岡子規は大石田から舟に乗って最上川を下り、酒田湊へ向かった。











こんなかんじで、大石田というより、最上川を詠んだものとなっている。


















高野一栄宅に連歌の石碑があるとの情報が
ありましたが、見つかりませんでした。






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