すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
追分宿は、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十番目の宿場。 享保年間には旅籠70軒余、茶屋18軒を数え、大変栄えていた。 北国街道との分岐点でもあり「追分」の名称はこれに由来する。 浅間三宿(軽井沢・沓掛・追分)の中では、当時の面影が比較的良く残っている宿場ということで、前もって訪問場所を研究していた。 前日夕方に自宅のある大阪を出発し、中央道のSAで車中泊しながら現地に到着したのが朝の六時前。 なんと、房総半島沖に台風が接近しており、影響で大雨の天候であった。 現地の様子、すごい大雨だった ![]() 追分宿の西の端、「 右に行くと越後国へ通じる北国街道で、左は京へ通じる中山道 |
さらしなは右みよしのは左にて月と花とを追分の宿 | 分去れ道標 |
意味は、追分宿は月の名所の更級と桜の名所の吉野へ続く道が分れるところ、という感じ。 どれかの石碑にこの歌が印刻されているとの情報があったが、この雨の中で探す気にもなれず、諦めた。 ![]() ここには道標のほか、常夜燈、森羅亭万象の歌碑、子育て地蔵、勢至菩薩、馬頭観音、廻国塔など江戸時代の石造物が7基残されているとのことだが、とにかく写真だけ撮った |
世の中はありの儘にぞあられふる かしましとだにこころとめねば | 森羅亭万象 |
江戸時代の狂歌師の森羅亭万象の歌碑があった。 え〜、結局大雨のため、追分宿の宿場町には行かず、油屋宿、堀辰雄関連史跡にも寄らなかった。、 |