すさまじきもの ~歌枕探訪~


思川(おもひがわ)(福岡県太宰府市)





太宰府天満宮のすぐ近くを流れる川、というか小川というか、溝のようなもの。中世から筑紫国の歌枕として有名だったようだ。
ただし歌枕としてこの川の名前はいくつもある。
「思川」、そして「染川」、この二つを合体した「思ひ染川」などで、いかにも恋の歌に相応しい歌枕で、中には筑紫国の「心つくし」などを用いた歌もある。
また「藍染川(あいぞめがわ)」とも呼ばれており、謡曲「藍染川」の謡蹟である。
現地の案内板から転載。


  藍染川と梅壺侍従蘇生碑
この藍染川は平安時代の「伊勢物語」など多くの和歌に詠まれ、謡曲「藍染川」の舞台となったところで、次のような恋愛悲話が残っています。
「むかし、天満宮の社人、中務頼澄が京に上った時、梅壺という天皇のお傍近くにつかえる女性と恋仲になり、梅千代という男の子が生まれました。やがて頼澄は筑紫に戻ってしまいました。月日が経って、梅壺は成長した我が子を父に逢わせようと大宰府まで来ましたが、頼澄の妻は、夫に会わせまいと梅壺母子を追い返そうとしました。悲嘆した梅壺は藍染川に身を投げ死んでしまいます。それを知った頼澄が梅壺の蘇生を天神様に祈ったところ梅壺は生き返りました。」という物語です。



このように一つの川であるが、幾通りもの名称があるという特徴?の川である。
さだまさしの歌謡曲にも川の名称が変化することで登場。
はじめは「逢初め川」といい
出会って「思い川」という 
大宰府の秋はいにしえ川の
白鷺と銀杏黄葉 朱の楼門 朱の橋 
池の水面に 空の青
白い手を合わせて君は ため息で歌うように
 ・・・
さだまさし
(都府楼)







こんな思川を詠んだ歌


染河を渡らむ人のいかでかは 色になるてふことのなからむ 在原業平(伊勢物語)

思ひ川いはまによどむ水茎をかきながすにも袖は濡れけり 皇嘉門院別当

思ひ川たえず流るる水の泡のうたかた人にあはで消えめや 後撰集

筑紫なる思ひそめ川わたりなば水やまさらむ淀む時なく 藤原真忠(後撰集)

渡りてはあだになるてふ染川心づくしになりもこそすれ 後撰集

染川に宿かる波のはやければなき名立つとも今は恨みじ 源重之(拾遺集)

いさりびの波間分くるに見ゆれども染川渡る蛍なりけり 源経信

山風のおろす紅葉のくれなゐをまたいくしほか染川の波 藤原家隆

わきかへり下にぞむすぶ思ひ川瀬々の岩間の水の白浪 壬二集




なんというか、『川』の縁語で「うたかた」「よどむ」「渡り」「波のはやけき」などがふんだんに用いられ、また『染める』から「色」「紅葉のくれなゐ」などを導いている。
それなりに詠みやすい歌枕だったのだろう。










太宰府天満宮に行った際に現地訪問した。



「梅壺侍従蘇生碑」
川から救われた梅壺がここで蘇ったとのこと。
史跡として整備されていた。
(太宰府市宰府2丁目15−1)




梅壺が身を投げたのは、この淵だろうか。水深2~3センチ。




「藍染川」石碑。
(太宰府市宰府2丁目16)




こんな感じで溝みたいなのが現在の姿。









前の道は「国博通り」。
想像するに、「九州国立博物館」に続く道なので「国博通り」というのだろう。












矢印の先の青い線が思川







さだまさしファンの聖地でもあります。







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