すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


大崎(岡山県玉野市)





幕末期の岡山藩の歌人である平賀元義は、中国地方を廻り、各地で多くの歌を詠んでいる。
人間性を素直に表現した万葉調の歌であった。
生存中はそれほど注目されなかったが、明治になって正岡子規に賞揚されて、世の中に知られることになった。


「萬葉以後一千年の久しき間に萬葉の眞價を認めて萬葉を模倣し萬葉調の歌を世に殘したる者實に備前の歌人平賀元義一人のみ」(正岡子規『墨汁一滴』)


血を吐きし 病の床の つれづれに 元義の歌 よめばうれしも 正岡子規







岡山県下を巡ると、ゆく先ゆく先で平賀元義の歌と出会うことになる。
玉野市の大崎もその一つ。
背後に山があり、水田が前に広がるような、今ではなんてことのない一般的な集落である。
ところが、平賀元義が生きていた江戸時代末期は水田ではなく、海が広がっていた。
この辺りは海辺の集落だった。
平賀元義も海辺の歌を詠んでいる。


柞葉(ははそは)の母をおもへば児島の海逢崎(あふさき)の磯なみたち騒ぐ 平賀元義
* 逢埼は大崎のこと
* 柞葉(ははそは)は母の枕詞

干拓で陸地化する前は、児島の海と呼ばれていた。
「母」と児島の「児」を対比させている。




射干玉(ぬばたま)の月おもしろみ彦崎逢崎さして吾磯づたふ 平賀元義
* 射干玉は月の枕詞

月夜に彦崎から大崎に向けて磯伝いに歩いている。
今とは全く違った風景が広がっていたようだ。





■現在の大崎


児島の海は干拓されて水田が広がっている。
写真の山沿いの集落が大崎



こんな感じ



今まで漁業をしていた人が急に農業を始めることができるのかな



この丘陵地は岬だったのだろう。
磯伝いに歩いたとあるが、こんなところを歩いたのか。













現地では、磯の香とか全くありませんでした。






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