すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


大島(岡山県浅口市)







かつて、岡山県浅口市の大島地区は内海に浮ぶ島だった。







3枚ともにスマホのGSI MAP(国土地理院)を加工して作成





Wikipediaの記載内容から大島について点描する

・大島(おおしま)は、かつて備中国浅口郡にあったとされる島である。後に干拓により陸続きとなり、現在は島ではない。

・現在の倉敷市玉島地区から笠岡に沿った国道2号、JR山陽本線が通る付近は、古代には海(水道)であり、14世紀頃まではかなりの大型船舶の航行が可能であった。

・古代の沿岸航路としては、備前の吉備の穴海から児島の北側を藤戸で抜けて備中に入り、浅口の甕の泊から大島の北側を通り備後へ向かうのが一般的であった。

・かつての島域の中央部の字として、「六条院」の呼称がある。これは備中にも広く荘園を領していた平氏・平清盛の父である忠盛が、白河法皇ゆかりの京都の六条院に寄進したことが由来の地名とされる。

・同地の寺院「明王院」には安徳天皇の御在所「穴泉の御所」の伝承が残る。

Wikipediai、「大島」 (備中国浅口郡)、「大島」 (笠岡市)





大島を詠んだ歌が伝わっている


大島の松吹かせに聞こゆなる道ある時の萩のはつかせ 大嘗会和歌集


仁治3年(1242年)、後嵯峨天皇の大嘗祭で詠まれた歌。
当時の大島の景色を詠んだもの。
















上記のWikipediaで安徳天皇の御在所だったと説明のある明王院を訪ねた。


明王院 ・・・ 浅口市鴨方町六条院中4571


住所は六条院。白河法皇の六条内裏に由来する地名とか。



立派な山門と参道であった。



思うところがあり、ここで引き返した。
桜は散っていた。






国道2号線
ここは海だった。大型船も航行していたとは俄に信じがたい。



これも昔の水道部分。向こうに見えるのが大島。














地形の変化は楽しいです






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