すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


大内氏築山(山口県山口市)









山口市内には、室町時代の大内文化の名残をとどめている観光地が多いが、私にはゆっくり時間をかけて「西ノ京」を観光する時間的な余裕がなく、とにかく歌が詠まれた場所、歌にゆかりのある場所を絞り込んで訪問する、そんな旅のスタイルで今回の訪問計画を立てた。


結果、大内文化の最高傑作と言われる五重塔を擁する瑠璃光寺にも行かず、雪舟が作庭した常栄寺にも行かず、毛利氏が大内氏の菩提寺として建立した龍福寺にも行かず、山口サビエル記念聖堂もスルーして、どこに行ったのかというと、「大内氏築山跡」と「豊栄神社」。


応仁の乱で荒廃した京都から公家や文人たちが山口に身を寄せ、大内氏はこれら貴人をもてなすための迎賓館的な施設として築山御殿を築いた。庭園には老松の巨木があり、ここで月見の宴を楽しんだという。


築山にあった老松の巨木は月見松と呼ばれ、築山のシンボルとなっていたようだ。


この月見松を詠んだ歌が伝わっている。



めぐりあふ秋はあらじと枯れにけり の名おへるふるさとの 山口名勝旧蹟図誌


てるも雲のよそよりなげくらむ 宿しなれにし木の間たずねて 山口名勝旧蹟図誌









【現地訪問】



大内氏の居住地であった龍福寺の北西に位置する
「史跡 大内氏遺跡 築山跡」の碑があった



ここに池があったが、埋められたとのこと



「大内氏月見之松紀念」の石碑があった



すぐ横に築山神社



「大内氏時代山口古図」(山口県文書館)

山口県のホームページに大内氏時代の古地図がある



拡大すると「大内御殿」が見えた



そして「月見松」の文字と松のイラストがあった





山口名勝旧蹟図誌「月見松址」(国立国会図書館)

江戸時代の図誌では「月見松の跡」となっていて、松はなくなっている。
実は雷が落ち、焼けて枯れたとのこと。








豊栄神社の絵馬堂に松の額が奉納されているとの情報があった。


これが月見松の絵。額は雷で枯れた松の木を使ったものなのかな



これも松の絵であるが、ちょっと違うような



豊栄神社の絵馬堂









宗祇が、築山御殿の連歌会で詠んだ発句


池はうみ こずえは夏の 深山かな 宗祇


築山跡に句碑













ほかに観光客は数人いただけでした





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