すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
こんなエピソード系の史跡っていいかも。 時は文久元年(1861)、和宮親子内親王が中山道をご降嫁の折、呂久川(揖斐川)を渡られ、その船中から対岸の色鮮やかに紅葉した楓を眺めて詠んだ歌がコレ |
落ちて行く身としりながらもみぢ葉の人なつかしくこがれこそすれ | 和宮 |
近代史は全く勉強してこなかったので、「公武合体」とか言葉だけしか知らない。NHK大河ドラマの「篤姫」が和宮のことだと知ったのは、今日のこと。 こんな具合なので、和宮とか中山道降嫁とかにそれほど興味がないのだが、史跡として整備されていると知り、とりあえず訪問してきた。 ![]() 「和宮御遺跡」の碑。 ![]() 渡船場の跡とのことだが、揖斐川の流路が変わったので、往時の様子は想像できない。 ![]() 史跡の名称は「小簾紅園」。 池があったり、 ![]() 小山があったり、 ![]() ![]() 詳しい説明板がいろいろあったり、 とにかく見どころ満載の史跡であった。 あと、これ |
清流揖川呂久津 嘗是和宮駐輦屯 悲痛挺身救国難 哀歌一首泣郷民 |
西脇関風 |
う〜ん、悲壮感丸出しの七言絶句であるが、そうだろうか? たまたま和宮は江戸行きの際はマリッジブルーに入っていて、悲痛な歌を詠んでいるのではないか。ただ、それが一人歩きしてイメージが固定化してしまったのか、政治に翻弄されたうら若き皇女というイメージを欲した国民性なのか、よく分からないが、 とにかく、たかが揖斐川を渡った場所というだけで、これほどの史跡を整備する必要があったのかな? (個人的感想) |