すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


斎宮(三重県四日市市)




斎宮は「いつきのみや」とも呼ばれ、斎王の宮殿と斎宮寮(さいくうりょう)という役所のあったところです。斎王は、天皇に代わって伊勢神宮に仕えるため、天皇の代替りごとに皇族女性の中から選ばれて、都から伊勢に派遣されました。
  古くは、伊勢神宮起源伝承で知られる倭姫命(やまとひめのみこと)など伝承的な斎王もいますが、その実態はよくわかっていません。
  制度上最初の斎王は、天武天皇(670年頃)の娘・大来皇女(おおくのこうじょ)で、制度が廃絶する後醍醐天皇の時代(1330年頃)まで約660年間続き、その間記録には60人余りの斎王の名が残されています。
(斎宮歴史博物館)



三重県明和町の斎宮に行ってきた。
斎宮とは上記の斎宮歴史博物館の説明通りであるが、実際のところピンとこない。まさに謎に包まれた空間であるが、それだけに伊勢物語の業平と恬子内親王の遣り取りについては興味が尽きない。
そのほかには、大伯皇女と大津皇子のこと、源氏物語での秋好中宮ぐらいが一般的に斎宮として知られているところだろう。


訪問前日は松阪市のビジネスホテルに泊まり、ここが翌朝最初の訪問地であった。
だが、楽しみにしていた「斎宮歴史博物館」は休館日であった。訪問予定のなかった「いつきのみや歴史体験館」も同様に休んでいた。

といっても、広大な斎宮跡見学はそれなりに楽しめた。


(斎宮跡地)

これが斎宮跡地



一画に古代米が栽培されていた。



斎宮のミニチュアが展示されていた







素晴らしい!


こんな感じで、王朝モードが高まっていく中、「歴史の道」へGO!





「歴史の道」

 いすず川たのむ心はにごらぬを など渡る瀬の猶よどむらむ 
祥子内親王(新葉和歌集)
 忘れめや神の斎垣の 榊葉に木綿かけそへし 雪の曙
祥子内親王(新葉和歌集)
 鈴鹿河八十瀬の波は わけもせで渡らぬ袖の ぬるる頃かな
弉子内親王(玉葉和歌集)
 雪にだに跡つく方ぞ なかりける あだにもこえぬ 神の斎垣は
弉子内親王(続千載和歌集)
 植ゑ置きて花のみやこへ帰りなば 恋しかるべき女郎花哉
粛子内親王(新続古今和歌集)
 いつかまたいつきの宮のいつかれてしめの御内にちりをはらはむ
西行(山家集)
常盤なる竹の都の 石なればうれしきふしを 数えてぞやる
 俊頼(散木奇歌集)
 別れゆく都のかたの恋しきにいざむすび見む忘井のみず
斎宮甲斐(千載和歌集)
 いかにせむ今日大淀の濱にきてあやめやひかむかひやひろはむ
良子内親王(歌合集)
 大淀によものうらがひひろひてもちひろばかりのあやめをぞひく
良子内親王(歌合集)
 春雨とみるはしぐれかおぼつかな霞をわけて散れるもみぢは
黴子女王(斎宮女御集)
 折る人もなき山里に花のみぞ昔の春を忘れざりける
黴子女王(斎宮女御集)
 大淀のみそぎいくよになりぬらむ 神さびにたる浦の姫松
兼澄(兼澄集)
 大淀の浦立つ波のかへらずば変わらぬ松の色を見ましや
黴子女王(斎宮女御集)
 鈴鹿山しづのをだまきもろともにふるにはまさることなかりけり
規子内親王(斎宮女御集)
 世にふれば又も越えけり鈴鹿山 昔の今になるにやあるらむ
黴子女王(斎宮女御集)
 伊勢の海の蜑もあまたに なりぬらむわれも劣らず潮を垂るれば
雅子内親王(敦忠集)
 伊勢の海に船を流して潮垂るる蜑のわが身となりぬべきかな
敦忠(敦忠集)
 伊勢の海の千尋の濱にひろふとも今は何てふかひが有べき
敦忠朝臣(後撰和歌集)
 呉竹のよよの都と聞くからに君がちとせはうたがひもあらじ
藤原兼輔(中納言兼輔集)
 かきくらす心の闇にまどひにき夢うつつとは世人さだめよ
業平朝臣(古今和歌集)
 君やこし我やゆきけむ思ほえず夢かうつつか寝てか醒めてか
子内親王(古今和歌集)
 二人行けど行き過ぎ難き秋山をいかにか君が ひとり越ゆらむ
大伯皇女(万葉集)
 わが背子を大和へ遣ると さ夜ふけて暁露に我が立ち濡れし
大伯皇女(万葉集)


 
いや〜、圧巻であった!
合計24の歌碑(12体)が歴史の道に沿って建てられていた。
さすがに全てを写真で撮ったのは、いささか恥ずかしい思いをしたが、大満足である。

(まとめ)

















伊勢物語について色々書きたいと思ってましたが、スルーしました。





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