すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


斉藤茂吉鴨山(さいとうもきちのかめやま)(島根県美郷町)







鴨山(かもやま)岩根(いわね)()ける我れをかも知らにと(いも)が待ちつつあるらむ 柿本人麻呂(万葉集)



これは万葉歌人の柿本人麻呂の辞世の歌。

題詞は、「柿本朝臣人麻呂、石見の国に在りて死に臨む時に、自ら傷みて作る歌一首」

歌の内容は、鴨山の岩を枕にして死のうとしている私を、妻は何も知らずに待ち続けてるのだろう、というもの。

そして万葉集によると、柿本人麻呂は石見国の鴨山という所で死んだとされている。

柿本人麻呂は宮廷歌人として活躍していたが、一方で下級役人として地方への赴任もあり、最期は赴任先の石見国で死んだもの。




さて、柿本人麻呂は石見国の鴨山で死んだとされているが、いったい鴨山はどこなのか、古来から謎となっている。

益田市の沖合に、かつて鴨島という島があり、地震と高潮で海に沈んだという伝承があり、そこが鴨山だろうという説がある。

一方で歌人の斉藤茂吉は、益田の鴨島説を非科学的だと否定し、20年間に計7回の現地調査を行い、美郷町の湯抱(ゆがかい)にある「鴨山」が柿本人麻呂終焉の地だと突き止めた。

今に至るまでどちらが正しいとかの最終的な結論は出ていない。但し斎藤茂吉の湯抱鴨山説に追随するような論者は殆どおらず茂吉にとって厳しい局面であるが、半生をかけて「鴨山」を探求してきた事績は後世大いに評価されている。

現在では斎藤茂吉が湯抱の地を柿本人麻呂終焉の地と考証したことを記念して、斉藤茂吉鴨山記念館が建てられ、鴨山が見える丘に鴨山公園が作られている。




え〜、私にとって柿本人麻呂がどこで死のうがあまり興味の無いことであるが、斎藤茂吉が執念で見つけた湯抱鴨山を一度見てみたいと思い、2023年の夏に現地訪問した。







【現地訪問】



斉藤茂吉鴨山記念館
休館日だった、開館は毎週水曜と日曜のみとのこと



鴨山公園の入り口



急な坂を登っていく



クモの巣が張っていて、大変だった



鴨山公園、鴨山を眺望できる



山と山の間に見えるのが鴨山



これが鴨山


まあ、一般的に田舎にある山であった







斎藤茂吉が鴨山を詠んだ歌


夢のごとき「鴨山」恋ひてわれは来ぬ誰も見しらぬその「鴨山」 斎藤茂吉


斉藤茂吉鴨山記念館に歌碑




人麿がつひのいのちを終わりたる鴨山をしもここと定めむ 斎藤茂吉


鴨山公園に歌碑




年まねくわれの恋ひにし鴨山を夢かとぞ思ふあひ対ひつる 斎藤茂吉


斉藤茂吉鴨山記念館に歌碑




いさぎよく霜ふるらむか鴨山がすでに紅葉せるその色みれば 斎藤茂吉


湯抱温泉の駐車場に歌碑




つきつめておもへば歌は寂しかり鴨山にふるつゆじものごと 斎藤茂吉


湯抱温泉の駐車場に歌碑




鴨山を二たび見つつ我心もゆるが如しひとに言はなくに 斎藤茂吉


湯抱温泉の橋の東北詰に歌碑





鴨山は古りたる山か麓ゆく川の流れのいにしへおもほゆ 斎藤茂吉



十年へてつひに来たれりもみぢたる鴨山をつくづく見れば楽しも 斎藤茂吉



このごろも鴨山考を忘れ得ずひとり居りつつ夜ぞふけにける 斎藤茂吉



一とせを鴨山考にこだはりて悲しきこともあはれ忘れき 斎藤茂吉







湯抱(ゆがかい)温泉】

斎藤茂吉は多分、湯抱温泉の湯につかりながら鴨山を考証したのだろう。
温泉マニアの本を読んでも、湯抱温泉はとても泉質の良い温泉のようだ。


橋の向こうに湯抱温泉の中村旅館



こんな湯抱温泉を詠んだ歌


湯抱(ゆがかい)」は「湯が峡(ゆがかい)」ならむ諸びとのユカカヒと呼ぶ発音聞けば 斎藤茂吉
















いやはや感動の訪問でした






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