すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
桜田門(東京都千代田区)
大老井伊直弼の辞世
咲きかけし 猛き心の 一房は 散りての後ぞ 世に匂いける | 井伊直弼 |
安政の大獄で一橋派を弾圧した井伊直弼は、水戸藩脱藩の志士らにより江戸城桜田門外にて襲撃され命を落とした。 世にいう桜田門外の変で、これを機に日本は開国に向けて大きく進んでいくことになる。 上掲の和歌は、襲撃の前日に詠んだもので、国のためを思ってきた自分の強い気持ちは、死後に理解されるだろうとの意味。井伊直弼は暗殺を予期していたのだろう。 【現地訪問】 ![]() 桜田門には内側と外側の二つの門がある。 これは内側で、内桜田門や桔梗門と呼ばれる。 ![]() 豪壮とした門構えであった。 ![]() こちらは外側で、外桜田門。 安政7年3月3日、井伊直弼は江戸城に登城するため駕籠に乗って桜田門に向かっていたところを襲われた。 季節外れの雪が降っていたらしい。 ![]() 外桜田門から見えた江戸城の内堀。 西向きで、国会方面。 ![]() 南向き。 有楽町方面。 さて、桜田門外の変を尊王志士の平野國臣が知った際に詠んだ歌が伝わっている。 |
所がら名も面白し桜田の火花にまじる春の淡雪(あわゆき) | 平野国臣 |
襲撃があった場所に、季節外れの雪がまるで桜が散るかのように降ったところは、「桜田」という地名なのでケッサクだという意味。 |