すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


左内公園(福井県福井市)






「完全版」おくのほそ道 探訪辞典『随行日記』で歩く全行程/工藤寛正著



松尾芭蕉の奥の細道の旅程を完璧に網羅していて、いつも参考にしている。値段は高いが実に値打ちのある内容である。



さて、芭蕉が福井城下で二泊した洞哉宅は現在の左内公園の辺りだそうだ。左内公園は、幕末の志士で越前藩士の橋本左内を顕彰して造られたもの。公園には橋本左内の銅像が建っていたり、墓があったりする。郷里の英雄のようだ。



橋本左内像



奥に墓がある。


橋本左内は適塾で学び、西郷隆盛らと交流し、さいごは安政の大獄で刑死する。享年26歳。
とりあえず辞世の歌を紹介する。


二十六年、夢の如く過ぐ
平昔を顧思すれば感ますます多し
天祥の大節、嘗て心折す
土室なほ吟ず、正気の歌
橋本左内

獄中歌らしい











さて奥の細道で、芭蕉が洞哉を訪ねるくだりはとてもテンポよく、愉快で、大好きな場面だ。一説によると源氏物語の光源氏が夕顔宅を訪ねるシーンをパロディにしているとのこと。(そんな風に思わないが)

福井は三里計なれば、夕飯したためて出るに、たそかれの路たどたどし。爰に洞哉と云古き隠士有。いづれの年にか、江戸に来りて予を尋。 遙十とせ余り也。いかに老さらぼひて有にや、将死けるにやと人に尋侍れば、いまだ存命して、そこそこと教ゆ。市中ひそかに引入て、あやしの小家に、夕貌、へちまのはえかかりて、鶏頭・はは木々に戸ぼそをかくす。さては、此うちにこそと門を扣ば、侘しげなる女の出て、「いづくよりわたり給ふ道心の御坊にや。あるじは此あたり何がしと云ものの方に行ぬ。もし用あらば尋給へ」といふ。かれが妻なるべしとしらる。むかし物がたりにこそ、かかる風情は侍れ、やがて尋あひて、その家に二夜とまりて、名月はつるがのみなとにとたび立。洞哉も共に送らんと、裾おかしうからげて、 路の枝折とうかれ立。
(奥の細道 福井)

芭蕉と洞哉は以前からの知り合いだったようだ。洞哉の方が年上で、もう死んでいるのかなと訪ねていったら、まだ存命であった。洞哉宅で二泊したが、敦賀で名月を観ようということになり、洞哉は芭蕉を敦賀まで送っていくことになった。



そんな折に芭蕉が詠んだ句


名月の見所問ん旅寝せん 松尾芭蕉
世に知られた名月の名所を教えてほしい。
一緒に月を楽しみ旅寝しようではないか。
(おくのほそ道 探訪事典)
 


左内公園に句碑



おっさん二人(当時は老人)が観月の楽しみのために浮足立っている様子がとても良い。




さて、左内公園の一角に芭蕉コーナーがあり、史跡として整備されていた。


いやはや奥の細道フリークにとって聖地のような場所であった。


       
「芭蕉宿泊地 洞哉宅跡」碑



芭蕉が洞哉宅を訪ねた時の与謝蕪村の絵が掲げられていた。



「芭蕉翁月一夜十五句」の絵図があった。



福井から琵琶湖までの鳥瞰図とともに観月の句があって、まさに感動の嵐であった。




えーと、一方、左内公園自体は、普通の町中の公園であった。

ごく少数の近所の老人以外、だれもいなかった。














満足度の高い訪問地でした。






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