すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


佐野の渡り(和歌山県新宮市)



あこがれの地、「佐野の渡り」に行ってきた。

あらかじめ資料を精読していたので、「佐野の渡り」は現在では新宮港として整備されており、往古の面影はないことを前もって分かっていた。
とりあえず港の風景を写真に撮ってこよう、て感じのノリで出発した。
国道42号線から新宮港への入口にある「黒潮公園」には万葉歌碑が2基あるとの情報だった。
ところが、ここで手違いが発生。
万葉歌碑は2基だったが、万葉集以降の歌の歌碑があと6基もあり、それらは約1キロメートル続く公園のあちらこちらに分散して設置されていた。一つも見逃してはならじと、公園内を行ったり来たり駆けずり回ることになり、本当に疲れた。

その結果、景勝地であり、堤防でつながっている沖合の厳島神社(孔島)まで歩いていく体力が残っておらず、遠くからの写真撮影でお茶を濁すことになった。


厳島神社(孔島)。赤い鳥居が小さく見える。堤防でつながっており、歩いて行くことができる。次回に再トライしよう。
ここには柿本人麻呂の
み熊野の浦の浜木綿百重なす心は思へど直に逢はぬかも 
の歌碑があるらしい。



厳島神社の右手の風景。あまり昔と風景は変わってないのだろう。



これが現在の新宮港の姿。木材加工品が積まれている。



これも。
砂利を運ぶトラックが一台だけ動いていた。


黒潮公園の歌碑 

この小道に沿って歌碑が設置されていた
忘れずよ松の葉ごしに波かけて夜ふかく出し佐野の月かげ
(後鳥羽上皇)
 
駒とめて袖うちはらふ影もなし佐野の渡りの雪の夕暮
(藤原定家/新古今和歌集)
 
さみだれは佐野の入江に水越えて出ぬ尾花や浪のうき草
(慈鎮和尚/拾玉集)
 
やどもがな佐野のわたりのさのみやや
ぬれてもゆかむ春雨の頃

(源家長)
 
苦しくも降り来る雨か三輪の崎狭野の渡りに家もあらなくに
(長意吉麻呂/万葉集)
 
三輪の崎荒磯(ありそ)も見えず波立ちぬ 
いづくゆ行かむ 避き道
(よきじ)はなしに
(詠み人知らず/万葉集)
 
三輪が崎夕汐させばむら千鳥 佐野のわたりに声うつるなり
(藤原実家)
 
みわが崎荒磯も見えずかかるてふ 波よりまさる袖やうちなむ
(民部卿為家)
 

このように、「佐野の渡り」は「三輪の崎」と合わせて詠み込まれることが多い。
三輪の崎は佐野の渡りの隣りで、風景としては同じ。JR紀勢線では「紀伊佐野」の次が「三輪崎」である。
三輪の崎は別ページで紹介しよう。


「佐野の渡り」って、どこが「渡り」なのかな?
新宮川の渡しならわかるけど。地図を見ても「渡し」が必要な地形でないし、川もない。


二番目の定家の歌の「雪の夕暮」もこの地としては合点いかない。

佐野については、群馬県、奈良県、大阪府などに比定する意見もある。


いろいろ思うこともあるが、それが歌枕の地である。









次の歌も秀歌である。

 涙こそゆくへも知らね 三輪の崎 佐野の渡りの雨の夕暮 源実朝(金槐和歌集)




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なんと、黒潮公園に浜木結(はまゆう)があった。
百重にはなってなかったけど。










とにかく、想定外に疲れました。








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