すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


更級の里(長野県千曲市)











「更級の里」及び関連の「姥捨山」は、多分信濃国で一番有名な歌枕だろう。不動の四番バッター的な存在である。

あとは「諏訪海」「園原」「望月」「浅間」「木曽路」ぐらいで、どれも二線級。

上の「信濃古歌集」という本には、万葉集から江戸初期までの信濃を詠んだ歌800首を、歌集ごと、歌枕ごとにまとめているが、歌枕別の編集では全149ページのうち37ページが更級里及び姥捨山が占め、179首が収録されている。勿論断トツである。

発端は次の古今集の歌

我が心慰めかねつ更科姨捨山に照るを見て 古今和歌集

詳細内容は弊サイト「姥捨山」を見ていただきたいが、要は年老いた伯母さんを山に捨ててきたものの、その山を照らす月を見ると堪えきれなく悲しかったというもの。

この歌が嚆矢となり姥捨山と更級の里は観月の名勝地となった。

老人を山に捨てるという棄老伝説からスタートしたものの、その後に続く歌は月の名所として詠まれたものがほとんどで、他には「慰めかねつ」を援用し詠嘆する歌もある。

また多くの歌が現地に行かないで、京の都で詠まれたものの、実際に現地に赴き、観月を楽しんだ歌人もいたようだ。

姥捨山は現在の冠着山で、山容が頗る秀逸である。更級の里である長楽寺から冠着山は南南西の方角にあり、月見には角度的にも良好。

近世になると灌漑用水が発達し、山の斜面に棚田が作られるようになった。名勝「田毎の月」は、小さく不揃いの棚田ごとに映り込む月影のことで、幻想的な光景が見られる(らしい)。











2021年夏、私も更級の里を訪問した。
台風が襲来する中の訪問であったため、雨雲が垂れ込み、雨も降ったり止んだりで、ゆっくりできなかった。



あちらこちらに歌碑や句碑が設置されていた。
一つ一つに説明板があったが、多すぎてキリがない。
数多の歌が詠まれてきたようだ。




長楽寺周辺、ずっと歌碑が設置されている




長楽寺入り口




本堂
台風で観光客はいなかったが、受付にも人がいなかった




境内
左の建物は観音堂
その左側の岩は姥石といい、昔はこの岩の上から月見をしたらしい




境内




境内、奥に見えるのが月見堂




月見堂




境内、とにかく歌碑だらけであった




眼下に広がる棚田
その先に広がる盆地は善光寺平。川中島の戦いがあった





更級の里を詠んだ歌は膨大にあり選びきれないので、厳選する。



さらしなの さとのくさはは うらかれて かれすそつきに ひとはとひける 藤原家隆(建保名所百首)


善光寺道名所図会「更級里の月見の図」に挿歌
(早稲田大学図書館)

















あと、松尾芭蕉の「更級紀行」も採り上げないといけないだろう。
松尾芭蕉は奥の細道の旅の一年前に美濃から更級の里へ旅をしている。勿論、更級の里で月見をするため。その旅行記が「更級紀行」。


(冒頭)
さらしなの里、おばすて山月見ん事、しきりにすゝむる秋風の心に吹きさわぎて、ともに風雲の情をくるはすもの又ひとり、越人と云ふ」


松尾芭蕉は無事に中秋の名月を観賞することができたようだ。


いざよひもまだ更科の郡かな 松尾芭蕉(更科紀行)


川中島古戦場跡公園に句碑







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善光寺道名所図会「放光院長楽寺」(早稲田大学図書館)

右が長楽寺、左が姥捨山(冠着山)で、その上に月















謡曲「姥捨」の謡跡でもあります







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