ささやき橋(福島県郡山市)






安積町日出山3丁目うどん店「神楽や」の前に歌碑

安積山 影さへ見ゆる 山の井の 浅き心を 吾れ思はなくに 万葉集


あづま路や ささやきの橋 中たへて 文だに今は かよはざりけり 源頼義


みちのくの 音無川に わたさばや ささやきの橋 しのびしのびに


郡山市安積町日出山の、笹原川に架かる耳語橋のたもとに立派な歌碑が設置され、上記の三つの和歌が刻まれている。
石碑の裏側にささやき橋の謂れが書いてあったので転載する。

耳語(ささやき)橋と音無(おとなし)

天平四年(732年)奈良が都として栄えていた頃、都より葛城王が按察使として陸奥の国に下向の際、片平郷の国司、祇承が三年の年貢を怠っていたので、王の怒りにふれた。
その時、みめ麗しい春姫が「安積山影さえ見ゆる、、、、」と詠みて歓待につとめたので王の怒りがとけた。
王が都に還る時、この地まで見送りにきた春姫と、橋の上で別れを惜しみ何やらささやいたが、里人には何も聞こえず川の流れも一瞬止まったと云われ、後世この川を「音無川」、橋を「耳語橋」と称するようになった。

また、当時の橋はもう少し上流にあったと伝えられている。
なお、永承六年(1051年)源頼家、義家が東征の折、この橋が朽ちて渡れなかったので「東路の、、、、」と詠まれたと今に伝う。

日出山町内会、日出山財産管理運営会、安積町郷土史研究会





えーと、コメントとして、この天平年間の葛城王の陸奥下向のエピソードについては、いろいろな形がある。一般的に「安積采女」と云って、葛城王に見初められて春姫が采女として大和の都に行くという内容。
この場合、橋の上で別れを惜しんでささやきあったのは、春姫とその許婚となる。
歌碑裏面の解説では、葛城王と春姫が別れを惜しんだとされている。

まあ、いろんなパターンがあるようだ。





【ささやき橋】



【音無川】


ふつうの近郊型の橋と川であった。











さて、上の三つ目の歌「みちのくの 音無川に わたさばや、、、、」については能因法師の古歌
熊野なる おとなし川を 渡さばや ささやきのはし しのびしのびに 能因法師
の「熊野なる」を「みちのく」に変えたもの。

つまり、みちのくにも熊野にも「音無川」と「ささやき橋」が存在する。

※熊野の方は和歌山県田辺市本宮町本宮の166号線沿い、経緯度は
 33°50'10.4"N 135°46'24.9"E












ささやきの漢字は、囁き、耳語き、密語き等、いろいろあります。




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