すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


小夜の中山(静岡県掛川市)






若いころは、日々いろいろな出来事が身の回りに起こり、避けることができず、絶体絶命のピンチに陥ることも珍しいことではなかった。

それは人生の経験不足、知識不足、それに無鉄砲さに因るものが多く、歳を取るにつれて危険なことへの無意識の回避本能が生まれて、安全な生活を送るようになっていく。

それゆえ絶体絶命のピンチなどは若者の特権のようなものだと思っていた。

中年になり、仕事上の大ピンチはそれなりに日常的に経験しているが、生命の危険を感じるような窮地にはこの20年来、陥ったことがなかった。

そんな人生経験豊富な中年男性が、小夜の中山で大ピンチに陥った!







東海道名所巡りの旅、三日目、菊川市のビジネスホテルを車で出発し、事任八幡宮を見学した後、日坂宿を通って小夜の中山へ向かった。
小夜の中山といえば、東海道中の名所中の名所。西行の「また越ゆべし」そして「命なりけり」の絶唱の地で、訪問前から興奮気味になっていた。

1号線のバイパスを越えたところから峠道に入る。

すこしきついかなと思ったが、アスファルトで舗装されているし、そのまま突入した。


(この案内板が立ててあった)

左手は崖、右手は谷で茶畑になっている。
坂はどんどんきつくなっていき、これはやばいなと思ったが、引き返すのも大変と、ギアを一段下げて上っていった。



道はさらに傾斜角度がきつくなり、車を運転しながらも感覚的には登山の胸突き八丁状態。
この先がどうなっているのかも分からないまま、アクセルを吹かし続けていると、ギギギー、と車の底の部分をアスファルトに擦ってしまった。
やばい!と思い、ブレーキを踏んだところ、タイヤがブレーキで止まっているのに、車の重さで後ろへ滑っていくではないか!
あわててアクセルを踏み込むとタイヤが空回り。そのまま車が後ろに滑っていくと、先程の茶畑の谷地に落ちることになる。まさに絶体絶命のピンチ!

今となっては、そこからどのように回避できたのか、よく覚えていない。

一号線のバイパスのところに広い駐車スペースがあったので、そこに車を停めてしばらくの間、気分を落ち着かせるよう休憩した。


車の底を点検。



東海道五十三次「日坂」/画像はWikipediaより

これは急坂を強調してデフォルメした絵だと思っていたが、まさにこのとおりであった。


その後、この危険な急登ルートを避けて、一般的な道を通って小夜の中山公園へ向かったのだが、気分的にダメージが残り、神経過敏状態だったので、小夜の中山についてはあまり覚えていない。













とりあえず、「小夜の中山」関係の歌


甲斐が嶺ははや雪白し神無月しぐれてこゆるさやの中山 蓮生法師


小夜の中山の付近に歌碑




年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山 西行

 
小夜の中山公園入り口に歌碑




旅寝するさやの中山さよなかに鹿も鳴くなり妻や恋しき 橘為仲朝臣


小夜の中山の付近に歌碑




雲かかる小夜の中山越えぬとは都に告げよ有明の月 阿仏尼


久延寺から400m東に歌碑






その他、歌碑の写真はないが一挙掲載

東路のさやの中山さやかにも見えぬ雲井に世をや尽くさん 壬生忠岑
東路のさやのなか山なかなかになにしか人を思ひそめけん 紀友則
東路やさよの中山越えくればかひのしらねぞ雲かくれわく 宗良親王
こえゆくもくるしかりけりいのちありと又とはましやさやのなか山 後深草院二条
ふるさとに聞きしあらしの声もにず忘れぬ人をさやの中山 藤原家隆朝臣
旅ごろも夕霜さむきささの葉のさやの中山あらし吹くなり 衣笠内大臣











小夜の中山の峠付近の写真


西行の歌碑の前。小夜の中山公園の入り口がある。



これも
右手は茶畑



北の方角を見る。茶畑が広がっている。



久延寺(静岡県掛川市佐夜鹿291)にある夜泣き石。
これは江戸時代から突然東海道の名所になったらしい。



旧東海道を東へ進む。茶畑の間を通っていく。





小夜の中山の周辺には歌碑やゆかりの史跡とか、いろいろ見学したいところがあったが、前述のショッキングなアクシデント(?)があり、気分的に滅入っていたので、ほぼ素通りしたようなもの。
いつかもう一度行ってみたい。



ここが要注意の場所


















問題の急坂について、他の人のホームページを覗いてみました




「転げ落ちるような沓掛の急坂」

街道を歩く・日本を歩く
http://blogs.yahoo.co.jp/k2351t




「小夜の中山峠の終盤、ものすごい急な下り坂がありました。
向かいから上りの車が来ましたが、あまりの急坂に登れずに引き返した程です。私も自転車を降りて下りました。」

年貢の納めどき
http://www.jinriki.info/blog/wan.html






「『夜泣石跡』から少し行くと、旧東海は急な下り坂にさしかかります。半端な勾配ではありません。
 青木坂もきつかったが、こちら側から登らなくて良かったと本気で思ったくらいの急坂です。
 坂の下から写真を撮ってみましたが、なだらかに写ってしまい残念ながらその急勾配は撮れませんでした。
 急坂の写真は過去にも何度か写したことがありますが、急勾配を表現出来た写真は一度もありません。」

旧街道 道草ハイク
(旧街道を夫婦で道草しながら歩く旅)
http://kota-k.sakura.ne.jp






「茶畑の道は30分くらい続く、最後はカーブのきつい七曲の急坂となり、日坂宿へと向かっていく。」

うらたびびと
http://homepage3.nifty.com/kariyushi1980/index.html





「実は,この急坂を後日車で登ろうとしたのですが,ついに登れませんでした。車は,FRのリミテッドスリップデフのないワンボックスだったからかもしれませんが4WDでもなければきっと無理でしょう。モータリゼーションが始まってからの道は車で走れることを前提に道を造ってきましたが,江戸時代はそうは行きません。とにかく工事費を浮かせ,旅人のことなどおかまえなしの急坂がいたるところで出てきて,現代人を驚かせます。しかしこの坂も地元の4WDの軽トラックにはなんでもない生活の道でした。」

風の吹くまま
http://www.konoha-house.com/kaze/



「最後の坂はかなりの急勾配でした。 下りでよかった、よかった。」

器やブログ
http://utsuwaya1.com/wp/




 「車も通る道らしいが、ギヤを2段ぐらい落とさないと進まない急坂
 (この感覚もオートマ世代には通じない?)」


歩けば、きっと ・・・
http://www.hm.aitai.ne.jp/~kouno/walk/walk.htm






「とんでもない急坂を下ると、日坂宿です。」

旧東海道旅日記
http://blog.livedoor.jp/vivamusical-tokaido/






「沓掛(二の曲り)の急坂を下り、日坂宿の集落に入る。」

TRY!東海道五十三次ウォーク!
http://25306633.at.webry.info/
 






 「『二の曲り』を振り返ると、その急坂にはビックリします。」



「我々を追い越した軽バンがあえぎながら登っていきました。」



遊歩散策
http://mori70silver.dousetsu.com/index2.htm






「急坂を降りてくると日坂バイパスが目の前に現れる」

OS1950の三日坊主
http://blogs.yahoo.co.jp/os1950


 






我ながら、すごい執念でこの日坂関連のホームページを集めたものだ






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