すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
江戸時代、全国で地元の景勝地を集めた八景ブームがあった。 中国の瀟湘八景を模したもので、『夜雨』、『秋月』、『晩鐘』など一定の事象を固定し、地元の景趣に優れた該当地を当てはめていくもの。近江八景が有名であるが、実は全国に約400ヶ所の八景があるそうだ。 八景の成立の最低必要条件は、その地域に、雪の降る山があることと、漁船が行き来する海か湖があること。これがなければ、『暮雪』と『帰帆』が成立しない。ということは、南の方の温暖な地方や、内陸部ではなかなか八景の舞台にはならない。 『夜雨』やら『秋月』『夕照』とかは、どの地域でも問題ないし、『晩鐘』も適当な寺を当てはめれば良い。『晴嵐』は霞が漂っていればそれなりの雰囲気が出る。『落雁』はどうなんだろうか、今まで50年以上生きてきたが、雁の群れが飛んでいるのを見たことがない。 そんな中、敦賀でも江戸時代に八景が選定されている。 |
敦賀八景 | |
常宮夜雨 | 敦賀半島にある常宮神社 |
気比秋月 | 越前一宮の氣比神宮 |
金前寺晩鐘 | 金前寺は高野山真言宗の寺院 |
栄螺ヶ岳暮雪 | 蠑螺が岳は、敦賀半島北部に位置する山 |
今橋夕照 | 1635年、新たに笙の川に橋を架けた |
花城落雁 | 花城とは気比松原の西端あたりの地名 |
白鷺松晴嵐 | 気比松原は白鷺の松と呼ばれていた |
金ヶ崎帰帆 | 南北朝時代に戦いの舞台となった金ヶ崎 |
この中で、目を引くのは「気比秋月」だろう。 松尾芭蕉も奥の細道で「名月は敦賀の湊に」と、中秋の名月に間に合うように大急ぎで敦賀に駆けつけている。当時から敦賀は月の名所だった。 前振りが長くなったが、今回は「栄螺ヶ岳暮雪」の栄螺ヶ岳を写真で撮ってきた。行ったのが8月の盆休み、しかも真っ昼間の炎暑晴天のタイミングだったので、『暮雪』と正反対の構図であった。 |
山の稜線のゴツゴツした感じが、サザエの殻のようでもあるし、そうでないようでもある。 そんな栄螺ヶ岳を詠んだ歌 |
金掘りのともし火よりもあかるきは さゞいがたけの雪の夕ぐれ | 雁返舎(敦賀八景) |
栄え行みなとのさまをあふぐべし 扇の形に消え残る雪 | 半月 |