すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


清涼寺(京都市右京区)






都名所図会「清凉寺」

国際日本文化研究センター



清涼寺のWikipediaの紹介文
 清凉寺は、京都府京都市右京区嵯峨にある浄土宗の寺院。山号を五台山と称する。嵯峨釈迦堂の名で知られ、中世以来「融通念仏の道場」としても知られている。宗派は初め華厳宗、後に浄土宗となる。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は「然、開山(初代住職)はその弟子の盛算(じょうさん)である。(Wikipedia「清凉寺」)


ふ〜ん、そうだったのか。
あんまり寺社関係に興味がないので、この文章を読んでみてもよく分からない。


しかしながら古典文学的には源氏物語ゆかりの地とされていて、こっちの方は興味深い。


光源氏が建立した「嵯峨野の御堂」は清凉寺の阿弥陀堂に準拠しているとされている。



源氏物語(松風)

 嵯峨野の御堂にも、飾りなき仏の御訪らひすべければ、二、三日ははべりなむ(嵯峨野の御堂にも、まだ飾り付けのできていない仏像のお世話をしなければならないので、二三日は逗留することになるだろう)

 御寺に渡りたまうて、月ごとの十四、五日、晦日の日、行はるべき普賢講、阿弥陀、釈迦の 念仏の三昧をばさるものにて、またまた加へ行はせたまふべき ことなど、定め置かせたまふ。堂の飾り、仏の御具など、めぐらし仰せらる。月の明きに帰りたまふ。

光源氏は、紫の上には嵯峨野の御堂の建設のことで、いろいろ指図しなければならないからと言って邸宅を留守にし、実は大堰川のほとりに住んでいる明石の君との逢瀬を楽しんでいた。


そういう意味では、なんともご利益がありそうな寺院であることよ。




光源氏と明石の君が交わした歌

契りしに変はらぬ琴のしらべにて絶えぬ心のほどは知りきや 光源氏(源氏物語)

変はらじと契りしことを頼みにて松の響きに音を添へしかな 明石の君(源氏物語)

思い出の明石の夜に弾いた琴の音としらべが変わっていないので、貴女に対する気持ちも変わってないよ、と詠んだ光源氏に対し、気持ちが変わらないことを願って松のそよぐ音とともに泣いてました、と明石の君。





そして、光源氏が晩年に過ごしたのも「嵯峨野の御堂」だったようだ。







【清凉寺】 ・・・ 京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46


阿弥陀堂。
源氏物語では「嵯峨野の御堂」、光源氏が建立。


源氏物語ゆかりの地の案内板があった




これが本堂




仁王門
「嵯峨野の顔」と称されているらしい。




謡曲「百萬」の謡蹟でもあった。
狂女ものはしんどいね










以前に来たときは祭りの準備をしていた




これも





さて、清凉寺には次の歌の歌碑がある

あでやかに 太夫となりて 我死なん 六十路過ぎにし 霧はかなくも 中村芳子

歌碑に出会えなかったため写真はない。
中村芳子は元女優で、年をとってから夕霧大夫になったというが、よく分からない。
ただ、吉井勇が夕霧大夫・中村芳子を偲んで歌を詠んでいる。

いまのなほなつかしとおもふ 夕霧の墓にまうでし かへり路の雨 吉井 勇


う〜ん・・・















このページ、読み返してみたけど、しんどいね






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