すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


誠心院(京都市中京区)




なんとも「和泉式部」尽しであった。
このようなエピソード満載のゆかりの地が大好きである。


誠心院とはどんな所かというと、
華嶽山東北寺(かがくざんとうぼくじ)誠心院と号する真言宗泉涌寺派の寺で、通称和泉式部(いずみしきぶ)の名で知られている。  寺伝によれば、関白藤原道長が、女(むすめ)の上東門院(藤原彰子(しょうし))に仕えていた和泉式部のために、法成寺東北院内の一庵を与えたのが当寺の起こりといわれている。当所、御所の東側にあったが、その後一条小川(上京区)に再建され、さらに天正年間(1573〜91)この地に移された。  和泉式部は、平安時代の代表的な女流歌人で、才色兼備で知られ、代々の勅撰集におさめられている和歌は247首に及んでいる。  本堂は小御堂(こみどう)と呼ばれ、道内には、本尊阿弥陀如来像をはじめ、和泉式部、藤原道長のそれぞれの像を安置している。  境内には、式部の墓と伝える宝篋印塔及び式部の歌碑が建てられている。また、傍らの梅の木は、式部が生前愛木した「軒端(のきば)の梅」に因んで、後に植えられたものである。中京区新京極六角下る中筋町
(京都市観光局のホームページより)


・・・とのこと。




とにかく、和泉式部が晩年を過ごしたらしく、墓もある。




こんなかんじ


新京極の商店街の一角に山門がある。
知ってる人でないと全く分からない。


通路のところに、なんと和泉式部縁起絵巻が展示されている。
これは見応えある内容であり、ぜひ誠心院のホームページでご覧になっていただきたい。

(和泉式部縁起絵巻の専用ページあり)



本堂
都心ならではの窮屈感があった。



宝篋印塔

『わらわがすみかも他所ならず。あの石塔こそすみかにてさむらへ。 不思議やなあの石塔は和泉式部の御墓と こそ聞きつるに そもすみかとは不審なり。』
(謡曲 誓願寺より)



と、本堂の傍らに由緒あり気な梅の木と石碑があった。
これこそ和泉式部が愛した「軒端の梅」。何代目になるのだろうか。


霞たつ春きたれりと此花を 見るにぞ鳥の声も待たるる 和泉式部


境内に歌碑





もう一つ、梅の歌
春はただわが宿にのみ梅咲かばかれにし人も見にと来なまし 和泉式部





 

「和泉式部」と「小式部内侍」親娘のお宝ツーショット。
これは素晴らしい!




その他、いろいろな和泉式部グッズがあるが、これなんか人々の想像を打ち破るモノ。

尼僧姿の和泉式部(誠心院ホームページより)



















いろいろ書きたいことがあるけど、こんなかんじで終わります。







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