すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


蝉丸神社(滋賀県大津市)




蝉丸って、
いづれかの天皇の子で、
琵琶の名人で、
逢坂山の山中に庵を結び、
逆髪(さかがみ)という姉がいて、
逢坂の関を行きかう人々を見て詠んだ歌が百人一首に採られ、
あとは・・・
と、まあ謎につつまれた歴史上の人物である。



ただ琵琶の妙手であったことから、蝉丸は歌舞音曲の神として中世の芸能に携わる人々に崇敬され、のち蝉丸神社の祭神となって信仰を集めることになった。





そんな蝉丸神社に行ってきた。

蝉丸神社。逢坂山、京阪電鉄大谷駅の駅ちかく。



しんどいので、この階段は上らなかった。





★別の日に訪問した際に、階段を上りました。



祭りの日だったのか、地元の人が集まっていた。



琵琶とか太鼓とかの楽器が置かれていた。














蝉丸神社のほかに、「関蝉丸神社」というのがあり、「上社」と「下社」がある。ただ、地元では蝉丸神社とは「関蝉丸神社(下社)」のことを指すらしい。

関蝉丸神社の下社に行ってみた。

「関蝉丸神社」と「音曲芸道祖神」の石碑



参道の途中に京阪電鉄が走っている。



社殿。なんとも由緒あり気な雰囲気。









蝉丸といえば有名なこの歌


これやこの 行くも帰るも 別れつつ 知るも知らぬも 逢坂の関 蝉丸(百人一首)


有名なだけに、いろんなところに歌碑がある

「関蝉丸神社(下社)」境内


「逢坂の関記念公園」内


「蝉丸神社」前





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そしてここは能楽「蝉丸」のゆかりの地でもある。

謡曲史跡保存会の説明板より
「謡曲蝉丸と関蝉丸神社」
 幼少から盲目の延喜帝第四皇子蝉丸の宮を帝は侍臣に頼み、僧形にして逢坂山にお捨てになった。此の世で前世の罪業の償いをする事が未来への扶けになるとあきらめた宮も孤独の身の上を琵琶で慰めていた。
 一方延喜帝第三皇女逆髪の宮も、前世の業因強く、遠くの果まで歩き回る狂人となって逢坂山まで来てしまった。美しい琵琶の音に引かれて偶然にも弟の宮の蝉丸と再会し、二人は互いの定めなき運命を宿縁の因果と嘆きあい、姉宮は心を残しながら別れて行く、という今昔物語を出典とした名曲が謡曲「蝉丸」である。
 蝉丸宮を関明神祠と合祀のことは定かではないが、冷泉天皇の頃、日本国中の音曲諸芸道の神と勅し、当神社の免許を受けることとされていたと伝えられる。

















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