すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
渋民村(岩手県盛岡市)
かにかくに渋民村は恋しかり、おもひでの山、おもひでの川 | 石川啄木 |
渋民村は盛岡市に統合されて廃止となった。現在の住所は盛岡市渋民。 ただ、文学の世界では永遠に「渋民村」であろう。 石川啄木のふるさとの村として、あまりにも有名である。 啄木が生まれてすぐに家族と渋民村へやってきてから小学校卒業までと、代用教員時代の一年間、啄木は渋民村で過ごした。 啄木は県都盛岡市、東京、北海道と住処を転々とするが、いつも心の中では渋民村をふるさととして懐かしんだ。 そんな渋民村を大阪から訪ねて行った。 始発で出発し、関西空港からLCCのピーチで仙台空港へ降り立ち、レンタカーを借りて東北道を一路盛岡へ向かって、ようやく渋民村へ着いたのが昼過ぎのこと。 なんと、その日の予定は、渋民村から盛岡、紫波、花巻、遠野、鳥海柵、平泉と回って、一関で泊まる旅程であった。改めて気付いたのは、岩手県は北海道に次いで広い県であったこと。となりの町までかなり遠い。 普段の大阪の、大阪市の隣が堺市って距離ではなく、走っても走っても次の町に着かない。全くの計画ミスであった。 時間がないので、せっかく渋民村まで来ながら、石川啄木記念館だけ、一瞬で見て、それで終わってしまった。 【石川啄木記念館】 ・・・ 岩手県盛岡市渋民字渋民9 ![]() 啄木フリークの聖地。 館内はゆっくりとした時間が流れていた。 そして昔の「文学青年」、今は「文学老人」が集っていた。 いろんな資料が展示されていて非常に興味深かったが、時間が押しているので、チラ見で素通りした。 家に帰ってから「新潮日本文学アルバム」の『石川啄木』を読み返そうと思った。 ![]() ![]() そしてこれが渋民尋常小学校。 啄木は小学校時代にここで学び、また代用教員として教えた。 |
そのかみの神童の名のかなしさよふるさとに来て泣くはそのこと | 石川啄木 |
小学生時代、啄木は神童と呼ばれたが、中学校を中途退学したため、本採用ではない、代用教員として教師に採用されたことを悲嘆した歌。![]() 尋常小学校の隣にあるのが、旧斎藤家住宅。 え〜と、啄木の代用教員時代に家族とともに間借りしていたとこ。 ![]() これは「啄木と子供たち」像。 「予は願わくは日本一の代用教員となって死にたいと思ふ」と啄木は考えていたようだ。 その頃に詠んだ歌 |
時として あらん限りの声を出し 唱歌をうたふ子をほめてみる | 石川啄木 |
ところが採用一年で辞め、北海道へ去っていった。 啄木の父親の仕事のことでいろいろとトラブルがあったようだ。 |
石をもて 追はるるごとく ふるさとを出でしかなしみ 消ゆる時なし | 石川啄木 |
「石もて追わるるごとく〜」ってすごい表現だが、啄木はどんなことをしたのだろうか。 また、このころ父親は家を捨てて出奔している。啄木の父親もいろいろ問題があったらしい。 時間がなかったので、行けなかった場所と歌 |
ふるさとの停車場路の 川ばたの 胡桃の下に小石拾へり | 石川啄木(一握の砂) |
霧ふかき好摩の原の 停車場の 朝の虫こそすずろなりけれ | 石川啄木(一握の砂) |
ふるさとの寺の畔の ひばの木の いただきに来て啼きし閑古鳥 | 石川啄木(悲しき玩具) |
やはらかに柳あをめる 北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに | 石川啄木(一握の砂) |
さわやかな小春日和の姫神山薄霞していともやさしく | 秋浜三郎 |
茨島の松の並木の街道をわれと行きし少女才をたのみき | 石川啄木(一握の砂) |